和歌山神社巡りも第五回目と書きましたが・・・
和歌山神社巡りではありません・・・・
許してください。 ごめんなさい
玉置というと
玉置浩二・・・
ごめんなさい
でも、若いねえ・・・
今見ると、なぜか苦しそうに歌っている姿が昭和を象徴している??
話を戻しましょう。
車で行っても本当に細い道をクネクネと走ること、1時間以上。
なぜか駐車場ではサンマの押し寿司を売っているおじいさんがいました。
「ここに来たらマスクなんてせんでええ! ここの空気を吸っとったら病気にはならへんわ!」
なんて叫んでいたので、思わず拍手してしまいました。
駐車場から歩いて行くと、途中の道にたくさんののぼりがあります。
こののぼり、何か違和感ありませんか?
奥の院ってお寺に対して使いますよね?
やはりここも神仏習合の結晶の神社だということがわかります。
加えて、車で行っても大変な場所にある神社だということを考えると・・・
玉置神社は、クネクネ登って来た山ごとが一つの御神体で、加えて「寺」・・・
その中に神社として祀られていたのでしょうね。
その時代まで意識が飛んで行くと、玉置神社の辺りは、修行場の中心で、日本中から山伏、行者、はたまた陰陽師が行き来していて、諸国のいろいろな情報を収集することができる場であったのではないかと考えられます。
こうした聖地となったのは多分、縄文時代の頃から・・・
なぜなら、ここに神代杉・夫婦杉が本殿の奥にあるから・・・
この神代杉は樹齢が三千年と言われています。
不思議なのは、通常の杉でここまで大きくなると、自重で幹が下に押し下げれられて木の幹が縄目のように見えてくるので、いわゆる「縄文杉」のような縄目の模様になるはずなのですが、ここの杉の幹は綺麗にまっすぐ天に向かっています。
察するに3000年以上前のこのあたりはこうした神代杉がたくさん生えていたのではないでしょうか??
しかも、古代から杉がまっすぐに天に向かって伸びることができる何かしらのパワーがある場所なのではないかと思います。
ちなみに一般的な縄文杉の幹は⬇︎こんな感じです。
左のほうに手が見えますが、心霊写真ではありませんので悪しからず。
我々が理解している「神社」という常識で玉置神社を見てみると、たくさんおかしなところがあるように感じますが、(そんなことないですか??)
訪問する神社の歴史や成り立ちを察して、その神社に祀られている神々に祈りを捧げることは、その地に住む神々に喜んでいただける参拝となるのではないでしょうか?
単にお賽銭を賽銭箱に投げ込んで、ご自身の願望を沢山祈るよりももっと大切なことを教えられたような気がします・・・
弥栄