養老元年(717)泰澄によって白山が禅定され、那谷寺も開創されました。巨大で幽玄な岩が多く残る土地にお堂を建立し、本尊・十一面千手観世音菩薩を安置したため、当時の名は「岩谷寺」と呼ばれていました。 後に花山皇王が御幸された際、洞窟内の本尊を拝され、「那谷寺」と名を改めました。
南北朝の争いで多くを焼失しましたが、寛永年間に加賀藩主・前田利常によって復興され、現在も白山信仰自然智の森として祈りを捧げています。
と説明書には書かれています。
紅葉が始まっていて美しい庭園なのですが、岩肌に削り取られてような洞窟のようなものが・・・
この岩を、「奇岩遊仙境」を呼んでいますが、近づいていくとその洞窟に石碑が並んでいるのがわかります。
これは五穀豊穣と豊かな自然を祈る稲荷社を祀っています。
・・・ということは、昔は神社として祀られていたものが神仏習合の形で「那谷寺」となったことがわかりますね。
しかも、この洞窟がなぜ出来たかというと、
その昔はここから勾玉の材料となる「太玉」を掘り出していたとか・・・
だから那谷寺の前は岩屋寺(多分、神社だった?)なのでしょうね。
翡翠で有名な糸魚川からは少し離れていますが、こうしたところから翡翠が取れるということは日本って意外と資源大国なのかもしれません。
あまりこうした情報が広がると、資源獲得戦争で日本を征服しようとする国が現れかねないので内緒にしておきましょうか・・・
弥栄