すいません。
だいぶ間が空いてしましました。
今日は香取神宮です。
出雲の国譲りの神話では、香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、出雲の国譲りの神話に出てくる神様です。
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はるか昔、高天原を治めていた天照大神は、葦原中国は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、まず天穂日命(あめのほひのみこと)を出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。
次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として天照大神の元に戻りませんでした。
度重なる葦原中国の平定失敗に高天原の神々は、次に遣わす神は経津主大神が適任であるとしましたが、これに対して武甕槌(たけみかずち/鹿島の神)は経津主大神だけが雄々しい立派な神で、私は違うのか!と激しく抗議しました。そのため経津主大神に武甕槌を副得て二神で葦原中国に遣わせたとあります。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い、葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。
古事記の「国譲り」では鹿島の神【建御雷神】に天の鳥船を副えて遣わしたとありますが、日本書紀は香取の神が『主』であり、鹿島の神が『従』の関係となっています。
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上の大まかなストーリから東国3社ができたと言われていますが、香取神宮を回ると解せないことが色々と出てきます。
地図を見ると、西が入り口でとても怪しい感じですね。(普通は日が登る東にある)
なぜか奥宮が表参道から見ると本殿の奥にありません・・・
ということは、表参道も本殿も後から建設したものなのでしょう。
参道をくぐって歩いていくと、道の両脇に神池があります。
ここで禊をする所でしょうか?
直角に曲がって桜門をくぐって入ると・・・
振り返ってみると狛犬がいます。
↓のような並びになっているのですが左右が通常とは逆ですよね。
どうも、桜門の中に祀られている神を外に出したくないように見えますね。
本殿の後ろに回ると・・・
裏参りができるいうことは、本殿の表と、裏を祀っている神が違っているのでしょうね。
本殿ができたのは江戸時代に江戸幕府が建てたということですが、何か意図があって本殿に祀っている神を閉じ込めるようにたのでしょうね。
・・・うーん。 今回は悩ましい神社巡りでした。
弥栄