今年に入って昼休みに皇居の周りを散歩(走っている人たちを沢山見ますが、私はマスクをつけて必死に走るようなことはできませんので、あくまでも歩くだけです。)
するようになりました。
しかしながら、コロナで出社の回数も激減、かつ皇居東御苑も休業とのことで入館する機会がなかったのですが、とうとうその機会が訪れました。
北桔橋門を通って堀を渡ると警備の方がおられますが、中を散歩したい旨を伝えるとすんなりとOKが出ました。
ちなみに平日なら火・水・木の昼なら入園可能です。
入園するとすぐ目の前に見えたのは、城郭の礎石・・・
このあたりに天守閣があったらしいことがわかります。
さすが、石の積み方が美しいと感じたのは私だけではないと思います
この天守台の説明書きには、
徳川家康の入城以来、江戸城では慶長度天守(1607年)、現和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度、天守が建てられました。
もっとも規模が大きかった寛永度天守は、地上からの高さは約58Mあったと言われています。
この天守台は寛永度天守が明暦の大火(1657年)により消失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものですが、幕府内で、天守は不要との結論が出され、この天守台には天守が建てられないままになりました。
江戸時代の江戸城は、天守があった50年間の後、天守がない状態が210年間続いたということになります。
と書いてあります。
天守台を再建しなくても、幕府の権威が揺らぐこともなく、平和裡にその時代を謳歌できたということはやはり、江戸時代というのは平和な時代(特に50年が過ぎた頃から)であったのではないかと感じますね。
天守台からの写真ですが、ゴルフができそうなぐらい綺麗な芝が貼られている広場(しかも人が少ない!)になっていますが・・・
昔は、↓のような作りになっていて天守台のあたりから江戸城全体が見渡せるようになっていたのでしょうね。
今回は時間がなく天守台あたりしか見ることができませんでしたが、機会があればまたプログに掲載していきたいと思います。
弥栄