今回は六甲比命神社です。
六甲山人工スキー場から歩くこと30分程度。
とにかく急な斜面を登って行くのですが、その間に巨石・・・磐座と言って良いと思いますが、たくさんむき出しになっています。
まずは心経岩。この岩は落雷により半分に割れたと伝えられており、7世紀に法道仙人によって般若心経が彫られたとのこと。重さは500トンあるそうです。
般若心経の文字は長い間に風化したため、現在のものは大正5年に彫り直されたもの。
目的の六甲比命神社に登る途中ですが、土台の岩です。
なんと巨石の間にあります・・・
こうした巨石の近くに立つと、私のような鈍感な人間でもなぜだか自身の体が浄化されていくような感覚を受けるのですが、古代の祖先たちはこうした場所で祈ることで自然を敬い、神様とつながっていたのでしょうね。
この上を登ると仰臥岩があります。
ここに八大龍王、熊野権現、花山法皇、仏眼上人が祀られています。
六甲比命大善神には、六甲山・瀬織津姫・白山姫・ワカ姫のことを記載した冊子が販売されています。その中に書かれていた部分を一部抜粋すると、
六甲比命大善神社は日本書紀、古事記に記載がなかったのですが、「ホツマツタエ」という書物によって紐解くことができることがわかってきました。
ホツマツタエとはヲシテ文字という神代文字を使って全編五七調で書かれ、天地開闢以来、景行天皇、日本武尊の時代までの歴史や神々の様々な教えが記載された叙事詩ですが、残念ながら神代文字で書かれているために学術研究の対象から外れています。
このホツマツタエの中に、天照大神は瀬織津姫にヒロタ(廣田神社?)でワカ姫(天照大神の姉神)の御神霊と共に女性の心を守るようにとお命じになった。
との記載があり、その御神霊の宿る磐座で最も有力な場所が六甲山山頂尾根にある六甲比命大善神の磐座と考えられるのですと・・・
最後に、この甲山ですが、大昔の火山が盛り上がってできた山との説もありますが、そうではなく山容を整備したものではないかという説もあります。
確かに巨石が隙間なく積まれている状態を見ると、そういったこともありえるかなと考えさせられますが、
「誰がどのようにしてこんな山のてっぺんで土木工事をすることげできたのか?」
「古代人にはこうしたことができるなんらかの力を持っていたのか?」
考えさせられますね。
というところで、次回は廣田神社のお話に移りたいと思います。
弥栄