REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

成田を味わう 〜 成田空港 空と大地の歴史館

成田国際空港の「負の部分」といえば、私が子供の頃にTVで見た「三里塚闘争」で空港建設反対派と機動隊がぶつかり合うシーンが思い起こされます。

 

この「成田空港 空と大地の歴史館」は、成田国際空港の建設をめぐり、この土地に刻まれた歴史を後世に伝える役目を持って建てられた歴史館です。

 

もらったパンフレットには・・・

成田空港は1966年7月4日に成田市三里塚に建設されることとなりました。

その時から、地域を守ろうと空港建設に必死に反対した農民やその支援者、日本のために必死に新空港を建設しようとした人々、そして、対立の周囲にいた住民たちの苦悩の歴史が始まり、力と力の対立の中で犠牲を伴いました。

その後、建設側と反対側との公開討論を経て、成田空港問題について地域も巻き込んだ話し合いが進んでいきます。

地域と空港をめぐる歴史的経緯と、そこに関わったさまざまな人々の苦悩と想い、これらを複眼的な視点から捉え、この地に刻まれた歴史をできるだけ正確に後世に伝えていくことを目指して当館は設立されました。

とあります。

 

大まかなストーリーを知るなら、尾瀬あきらの「僕の村の話」という漫画がわかりやすいかと思います。 尾瀬あきら自身は、「この本はフィクションである。」と言っていますが、この歴史館で得られる情報と大きく違うものではありません。(もちろん、登場人物や地名は違っていますが)

[尾瀬あきら]のぼくの村の話(1) (モーニングコミックス)

https://www.amazon.co.jp/ぼくの村の話(1)-モーニングコミックス-尾瀬あきら-ebook/dp/B00B8EX5PO   より

 

開港までに、警察官3名が火炎瓶を受けて死亡・反対派の農家の若者が自殺・・・・

等、反対派の中に当時、学生運動で暴れていた面々(中核派全学連等)が反対派の農民たちの味方をする立場に入り込み、より過激で暴力的な行動に出たことが、今でも禍根を残していると思っていました。

 

今回、見学してみてわかったことは、国際空港の用地としては他のエリアがいくつか候補に上がっていたにも関わらず突然、成田に決まってしまったこと、当時、この場所の住民には全く情報がないまま、土地の測量、工事を開始しようとしたという、閣議決定金科玉条とした住民との会話を蔑ろにした工事着工が大きな原因であることがわかりました。

 

昭和46年のニュースです。 

成田空港の闘争の部分は、最初の3分ほどですが興味があれば見てみて下さい

www.nicovideo.jp

この

「住民との会話を行わずに政策を推し進めようとしている」姿・・・

今の政治の進め方によく似ているように感じるのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?

 

弥栄