今日は皆瀬神社。
龍神温泉の近くにひっそりとある神社です。
とても空気の良い場所(美人の湯の近くにあるからかな?)にある神社と感じました。
歴史を辿ると
足利の時代、永禄2年(1458年)に龍神氏10代当主龍神正直が勧請し、文明年間(1469年-1486年)にその嫡子・龍神氏11代当主龍神正氏が社殿を建立した。御祭神は祭神は八幡大明神。
龍神氏は、日高川最上流の部落に治承4年(1180年)、源頼政の五男源頼氏が落ちのび、館を構え、移り住んだことを創始とする。
となっていますが、少し引いて写真を撮ると・・・
石壁と塀で周りがしっかりと囲われていてなんとなく「お参りさせない雰囲気の神社」に見えます。
しかも、神社の右隅には・・・
神武天皇遥拝所・・・って?
更に神社の左隅にはこんな灯篭がひっそりとあります
普通の灯篭は火を灯す部分があるのですがこの灯篭にはありません。
しかも遍照燈と書かれている部分が「御神燈」となっています。
さすがに「神様には光を灯す必要がないのか?」なんて思う方もいるかもしれませんが、
実は・・・
「火を灯す部分がない灯篭は、トベに関係する神社に隠すように設置されている。」
そうです・・・
とすると、
この神社は、昔、神武天皇とニシキトベに関係する神社だったということが見えてきますね。
日本書紀において東征に関する記述ですと、
磐余彦(神武天皇)が息子のタギシミミノミコトと軍を率いて進軍し、熊野の荒坂津に着き、そこでニシキトベという女族を誅します。
その時、ニシキトベは毒気を吐いて東征軍の兵を萎えさせます。
天照大神はそれを天からご覧になり、タカクラジに剣を授けて磐余彦に渡します。
それで兵士も力を得て目覚め、ニシキトベを倒すことができました。
・・・
串本町の二色(ニシキ?)という場所にはニシキトベを祀る場所があるとか・・・
古来、強い敵を倒すと、倒した敵が復活することを恐れて、殺した遺体をバラバラにして離れた場所に埋葬(封印?)してしまうことが多かったと聞いています。
神武天皇は、ニシキトベに対しても同様の形で何箇所かに埋葬して神社や石碑という形で今に継承されているのかもしれませんね。
ひょっとしたら、他にも神社や石碑が見つかるかもしれません。
こうして、史書に書かれていることと、実際の神社を巡って事実関係を確認していく楽しみはまだまだ日本にはありますね。
弥栄