前々回お話しした航空科学博物館から、さらに少しばかり南に車を走らせると「芝山町立芝山古墳はにわ博物館」があります。
現地に向かう道路の名前はなんと・・・
「はにわ道路」
ですよ。
近くにはなんと
「はにわ台団地」
なんてのもあります。
全てが「はにわづくし」という感じの芝山町ですが、
博物館の入り口はこんな感じです。
よく見ると入り口は、石で組み上げた竪穴式の入り口になっていますね。
入り口は天井が低いので、背の高い方は頭をぶつけないようご注意を!
ここに入る前は、よくある田舎のちょっとした博物館かと思っていましたが、全く違っていて古代の千葉県の姿をはっきりと感じ取ることができる素晴らしい博物館でした。
下の地図にあるように、千葉県にはたくさんの古墳が存在していることも今回初めて知ることができ、衝撃を受けました
この博物館から一番近くにある古墳が、殿塚と姫塚ですが、博物館からは車で5分ほどの距離にあります。
姫塚の周りに置かれていた埴輪が・・・
こんなに大きな埴輪がしかも、ほぼ完璧な形で発掘されているのは驚愕ですし、この埴輪から当時の人たちの生活ぶりが反映されていて、そこから当時の人々の生活ぶりを想像するのは楽しいですね。
埴輪を見てみると、まずは馬の埴輪があることから見ても当時、この古墳が造られた5世紀には千葉の大地では馬が飼育されていて、馬たちが悠々と暮らしていたことがわかります。
これって、前回のブログでお話しした通り、江戸時代に馬を放牧していて、それを軍馬として育てていたことと繋がってきます。
次に当時の人々の姿ですが・・・
芝山町では毎年11月に、「はにわ祭」を行なっていますが、その時に祭りに参加している人が扮している姿が↓のようになります。
この祭りに参加している方々の姿は、なんとなく縄文人の末裔といった感じを受けるのですが・・・
この埴輪の姿は縄文人というよりも・・・
参照は https://jp.quora.com/ユダヤ教徒の男性のもみあげが-ロングヘアーならぬ
そうなんです。
ユダヤの方の正装に近いと感じる方は多いかと思います。
古代の日本人とユダヤ人とのつながり。
こうした史跡を見ていると、かなり昔から何かつながりがありそうですね。
こうして世界中の史跡を繋いでいくことで、
世界視点で歴史がどのように動いていたか?
について探索していくことは、本当に面白いと感じています。
こうした探索をすることで、
自身のご先祖さまは、歴史の中でどのように関わっていって、自分の血につながっているのかについて思いを馳せるのも面白いと思いませんか?
感動のあまり、博物館を見学した後に、「殿塚」と「姫塚」に行ってみましたが、草に覆われた場所に山が盛り上がっているところに看板が立っているだけでした。
この山の向こう側で、たくさん埴輪が発掘されてようです。
人気が全くないので、この場に佇んで当時の様子を思い巡らせるのも良いのでなないでしょうか?
弥栄