今日は房総半島南端にある安房神社です。
由緒書には、
天太玉命を主祭神に天比理咩命を配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命を祀る。
本社の祭神天太玉命は中臣祖神天児屋根命と相並んで天照皇太大神の側近に奉仕し祭祀を司どられた重要な神に座します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は天児屋根命と共に大神の出御を祷り遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
阿波開拓の神として当社の下の宮に祀らるる天冨命は、天太玉の御孫にあたらせられる。
天富命は四国の阿波国忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起こし、最初に占拠されたのが房総半島の南端、すなわち現在の阿波神社の鎮座地であって茲に本拠を定めて祖神天太玉命の社を立てた後、次第に内地の方に進みこの半島に麻穀を播殖し、その産業地域を広められたのである。
とあります。
やはり、天富命の一行は忌部族を引き連れて四国⇨和歌山⇨房総半島と海流に乗ってやってきたのでしょうね。
ということで相祭神には、
・天日鷲命(アマノワシノミコト):阿波忌部
・天目一箇命(アメノマヒトツノミコト):筑紫・伊勢忌部
と技術者集団がたくさんです。
ちなみに境内から離れたところには忌部塚があります。
昭和に入って偶然にも境内内にある洞窟内が発見されてその発掘調査では、人骨22柱が発見されました。
その遺体は弥生以前に遡る時代のものだったそうです。
という意味では、この神社発祥の歴史はかなり古いことが明らかですね。
この神社、下に境内の図を示しますが、面白いことに
⒈ 鳥居から入って拝殿に向かって行く途中には狛犬がいない
2.厳島社は池に囲まれていない
3.琴平社には狛犬がいる (祭神は大物主)
4.拝殿と本殿に千木・鰹木がある(通常は本殿のみのはず。)
しかも千木は水平(女神)に切ってあり、鰹木が7本(男神)となっている
そういえばこの形式に似た神社が和歌山にもありました・・・
淡島神社です。
神武天皇の時代よりもかなり昔から忌部衆は存在しており、出雲から四国・和歌山を経てこの南房総まで船旅をしながら、各地で土地を切り開き、農工業を発展させたきたのかもしれません。
南房総は忌部によって発展してきたと考えても良いのかも知れませんね。
弥栄