久しぶりの神社巡りです。
今回は、千葉県房総あたりの神社を回りました。
まずは下立松原神社。
今回気づいたのですが、千葉の房総のあたりは切り立った岩が多くて、山々の木々も岩の上に張り付いているように見えます。
下立松原神社の入り口ですが、写真のように岩の絶壁を掘り込んでいる場所がありました。
何か鉱物を採掘していたのでしょうか?
それとも隠れ家??
そういえば前回の北陸遠征の時の那谷寺は、翡翠を掘った後の洞窟に石碑を置いていましたね。
この辺りの地名は白浜と呼ばれていますが、和歌山の南紀白浜との繋がりが深いようですが、これは「忌部」繋がりなのでしょうね。
この辺りは白浜の頼朝伝説が有名で、「義経記」には以下のような話があります。
平家を倒して源氏の世にしようとした源頼朝は、伊豆の石橋山の合戦に敗れて安房国の平北郡猟島に逃げてきたとあります。
治承4年(1180年)八月二十九日のことでした。
その後、再起を願う頼朝は、味方を得るために安房国中を精力的に巡回したのですが、白浜にも立ち寄りました。
まず、長尾の滝口大明神(下立松原神社)に参詣し、「宗近」の太刀を奉納して戦勝を祈願すると、海岸つたいに野島につきました。
この下立松原神社の名称ですが、江戸時代以前には「小鷹明神」「瀧口明神」と称していとのことです。
頼朝は、この千葉の地で有力者の千葉氏の力を借りて兵を挙げていき、ついには平氏を壇ノ浦まで追い詰めていく事になりました。そういう意味では千葉氏のことをもっと歴史上で評価すべきだと思うのですが・・・・ 歴史から消されていますね。
ひょっとすると千葉氏と忌部って繋がりがあったのかもしれません。
また、この神社では「ミカリ神事」が江戸時代から行われており、天富命らが安房に上陸したとき、当地には鹿が多く住民が困っていたので、鹿狩りをしたという伝承があり、それに因んで旧暦11月26日から10日間、神事として神狩祭が行われています。
写真の左右に大きな木が2本立っていますが、これは鳥居を意味しています。
右側の木は切られている状態ですが、左の木は葉っぱが生い茂っていました。昔はこの木にしめ縄が結びつけられていたのではないかと思います。
この狛犬ですが、「あ」(男)の狛犬なのにツノがついているかと思いましたが、「烏帽子」のことだそうです。
古い神社ですと「ん」(女)の狛犬にはファルコンのように「ツノ」がついていますものね。
弥栄