神社ネタが続いてしまって申し訳有りません…
平将門首塚は、今も大手町の巨大なビルに囲まれて鎮座しています。
将門は天皇家の血筋であったことご存知でしたか?
平将門が世の中に名を馳せた時代は、京都で藤原氏が政権を欲しいままにしてわが世を謳歌している時代でした。
遠く離れた坂東(関東地方のこと)では、国々の司が私欲に走って民から税金を搾り取って疲弊していることに加えて自然災害が相次いだため、将門は下総國で兵を起こして坂東8ヶ国を平定し、自らが平新皇として政治の革新を図ろうとしましたが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲攻撃で享年38歳で憤死しました。(天慶の乱)
その将門の首級は京都の送り届けられ、獄門に架けられたが、三日後に白光を放って東方に飛び去り落ちた。 その時、大地は鳴動し、光を失って闇夜のようになったと伝えられています。
村人は恐れおののき、塚を作って将門の首を埋葬した場所が今の首塚とのことです。
その後も、将門の怨霊が祟りをなしたので法号を追贈、日輪寺と天平2年 (730年) に創建された神田明神に霊を合わせ祀ったことで霊魂も静まり、この地の守護神となりました。
全てのストーリを確認すると平将門は弱きを助け強きをくじく最初の武将であったことがわかります。
私が首塚が怖いと思い込んでいたのは、将門が祟りをなすので首塚には近寄らないようが良いという噂を聞かされていたからでした。 物事は自分の目でしっかり確認してから判断することの大切さを痛感しました。
今の日本の世の中の流れに反発して「将門のような人が現れないかな。」と思う方もおられるのではないでしょうか?
一方の神田明神。 正式名称は神田神社は神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内・東京の食を支える市場の発祥地として厚く信仰されている神社です。
元々は将門の首塚の近くに鎮座していましたが、徳川家康が現在の場所に遷座しました。
こうした由来から、御祭神は
一ノ宮:大己貴命 (大黒様)
二ノ宮:少彦名命 (恵比寿様)
三ノ宮:平将門命
となっていますが、歴史的に見れば三ノ宮の「まさかど様」が上に上がっても良いような感じはしますね。
秋葉原が近いこともあるのでしょうが、アニメコラボのお守りと絵馬は見ていて楽しくなりますが、御朱印はさすがにアニメとコラボしていないようです。
将門塚例祭に合わせてのブログでした。
弥栄