今日は1400年の歴史を誇る加賀国二ノ宮の菅生石部神社です。
社伝によれば、用命天皇元年(585年)、この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まるといわれており、「斎藤」姓発祥の地であり、氏神として知られています。
斉藤というのは斎王のお手伝いをする藤原氏から出てきた姓だとか・・・
斎王とは・・・
天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことである。歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674)、壬申(じんしん)の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まる。
以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。伝説は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)など、さらに多くの斎王の物語を伝える。
制度が確立して以降の斎王の任が解かれるのは、主に天皇が代わったときのみ。
年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、一年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送っていた。また、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されず、伝説に語られる斎王の中には己の命を絶って身の潔白を証明した哀しい斎王や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした斎王もいたのである…。
と、明和町のHPには書かれています。
つまり、斎王とは天皇のお世話係の役割を果たしていると考えて良いかと思います。
そこで斎藤姓の話に戻りますが、
斎藤姓は「斎王に仕える家系である藤原氏」のことを指して「斎藤」と呼んだようです。
斎王のお世話役も藤原氏から輩出していたようですね。
さて、本殿の写真ですが、左右に牛と馬の銅像・・・
この神社、やたら牛と馬の立派な銅像が、社をまもっているようにみえました。
昔から神社にある牛と馬は悪(例えば病)を倒す意味合いで置かれることが多いのですが、この神社の始まりが、加賀で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた神々(現・菅生石部神)が勧請されたことが理由としてあるのでしょうかね。
弥栄