今日は、神倉神社です。
御祭神は高倉下と天照大神
御由緒には
熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は、建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業・漁業の守護神として御神徳が高い。
とあります。
さて、この高倉下(タカクラジ)ですが、神武天皇の東征に関係しているようです。
先代旧事本記によると、
神武の軍勢が東征の際、悪い神に毒気を吐かれてなすすべもない状態に陥ってしまった時、
タケミカヅチが高倉下に「フツの剣」を神武に渡すよう高倉下に夢の中で伝えます。
夢から目覚めると倉に剣が突き刺さっており、高倉下がその剣を神武に渡したことで軍勢は息を吹き返し、長髄彦を倒す。
というものです。
この高倉下はヤタガラス・ナグサトベ・ニシキトベとも繋がってきますので、その話はまた別の機会に。
さて、話を神倉神社に戻します。
駐車場から坂道を延々と登り、山頂に到着。
振り返ると新宮市が一望できる場所です。(写真を撮るの忘れました・・・)
そんなところにあるのが、この神倉神社です。
この神社の後ろに、大きな磐座があるのがお分かりでしょうか?
実はこの磐座は3つあって二つの磐座が一つの磐座を支えているような形で鎮座しています。
その3つの巨石が支えあってる部分の写真がこれです。
過去に六甲比売神社に行った時の雰囲気と同じような感覚でしたので、これは縄文人が1万年以上前から信仰していた磐座だとピンときました。
と考えると、この磐座は大昔から、縄文人が信仰していたいわゆる「聖地」のようなところになっていて、後から御社を建立したということになりそうです。
さて、この3つの磐座ですが、縄文人の生き方を強く表しているもので、
「二つの磐座が両親、その二つの磐座が一つの磐座を支える、すなわち子供を支える」
というメッセージを今に伝えているものだそうです。
すなわち、1万年以上戦うこともなく平和に生活を営んできた縄文人の生活の基本がここにあるのではないでしょうか?
「今だけ金だけ自分だけ」の生き方に変容しつつあるギスギスした人間関係が増えてきている中、こうした縄文人の心意気は、
必ず我々日本人のDNAに刻み込まれているはずです。
今の時代だからこそ、ぜひ太古から先祖が培ってきたメッセージをもう一度呼び覚まして日々の生活を送りたいものです。
弥栄