この神社にゆかりの物語は、源義経と武蔵坊弁慶主従の「勧進帳」。
奥州平泉へと逃れ行く義経と弁慶一行と、道中で捕らえようと「安宅の関」で待ち受ける関守・富樫左衛門との間で繰り広げられる物語ですが、その舞台が、「安宅住吉神社」ですね。
史実上は、本当に義経が平泉に落ち延びる際にここを通ったかは疑問視する声もあるようですが、その話はさておき、
勧進帳(お寺に寄付を募るお願いが書いてある巻物のこと)のストーリーは、
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兄源頼朝との仲が悪くなった源義経は、武蔵坊弁慶らわずかな家来とともに、京都から平泉(岩手県)の藤原氏のもとへと向かいます。頼朝は平泉までの道すじに多くの関所を作らせ、義経をとらえようとしますので、一行は山伏に変装して関所を通過しようとします。
ところが関所を守る富樫左衛門は、義経たちが山伏に変装しているという情報を知っていたので、一行を怪しんで通しません。そこで弁慶は、何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げます。
通り過ぎようとすると、「義経に似た者がいる」と家来が訴えたため、再び呼び止めますが、変装がばれないようにするために、弁慶は持っていたつえで義経を激しく叩きます。それを見た富樫は、その弁慶の痛切な思いに共感して関所を通すのでした。
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というお話から、ここは「難関突破のお守り」が有名な神社です。
説明書には、
東に霊峰白山、西に荒海日本海、眼下に源平古戦場の梯川を見下す景勝の地、ここ加賀ノ国(石川県)安宅、二堂山(海抜15m)の頂に安宅住吉神社は御鎮座されています。
その創建は古く、歴史を遠く遡る事一千二百有余年前、奈良時代天応二年(782年)で、琴佩山に御鎮座されました。天暦二年(948年)鷹降山に天正五年(1577年)小倉野に御遷座され、さらに正保四年(1647年)現在の二堂山に御遷座されたのです。
実は、この神社も参拝に行くと巫女さんが寄ってきて本堂にあげてくれて安宅住吉神社の説明を10分ほどしてくれましたので、気多大社のように「幸娘」のような制度があるのかましれません。
参拝が終わって駐車場の横をみると端っこの方にこんな磐座(?)がありました・・・
まさかこれが御神体・・・
真偽の程はわからず、暗くなってきたので今晩も美味い酒を求めて帰路に向かう私でした。
弥栄