REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

九州の神社参り(2)〜宗像大社と田島・田嶋神社〜

今回は宗像三女神にまつわる神社を回りました。

まずは宗像大社

 御祭神は天照大神素盞鳴尊の誓約によって天照大神より誕生したとされる三女神である沖津宮田心姫神(タギリ)、中津宮湍津姫神(タギツ)、辺津宮市杵島姫神が祀られて、この三宮を総称して『宗像大社』と呼びますが、今回、行ったのは辺津宮宗像大社です。

宗像大社ホームページから境内マップを拝借しました。

まずは本殿の写真がこれです。

宗像大社の本殿の屋根

 

本殿の千木の数は・・・1・2・3、、、

5本で千木は縦に切られています。

と言うことは、祀られているのは女神と男神??

面白いことに本殿の背後に第2宮にタギリヒメ、第3宮にタギツヒメが御分霊として祀られているのですが、その本殿の屋根の鰹木は6本、千木は水平に切られています・・・

宗像3女神を祀っているといいながら何か・・・

裏がありそうな神社ですね。

 

神社から出てしまう形になりますが、さらに奥にいくと高宮斎場があります。

ここで祭祀を行っていたそうですが、大陸をつなぐ航海の安全を祈念した祭祀が行われていたと考えると、宗像三女神の元は、航海に長けている安曇野族からの流れであり、ヨーロッパにおける航海の女性神と関係があると考えて良いのでしょうね。

この場に立ってみて、この斎場は4、5世紀よりも、もっと前から祈りを捧げていた聖地のように感じましたが、行ってみたことがある方はどのように感じられましたか?

 

高宮斎場

本殿の左側にある神宝館ですが、ここには4−9世紀に祭祀に使用された遺物で沖の島で発掘されたものを展示しているのですが、圧巻は金の指輪でした。

発掘されるものは縄文時代のものもあり、この辺りが、祭司として、また大陸との交易において歴史的な重要性が感じられる展示館です。

ひよっとして大陸から戻る際には大陸から持ち帰る「魔」を払って、大陸に渡る際も清いもののみを持ち出す目的で行っていたのかもしれません・・・

いわゆる「黄泉の国」への出入り口みたいな。

 

次に田島神社。

ここは、田島三神(田心姫尊・市杵島姫尊・湍津姫尊)を主祭神とする本拠地であり、どちらも目の前が海で、「港に面した神社」といった感じです。

すぐに船を動かすことができる状況にしていて、軍事の拠点としつつも、平時は中国との交易の拠点であり、当時の貿易と国守りの拠点としても重要な位置に置かれている神社ですね。

港からは切り立った階段を登って神社に入るのですが、造りはまさに敵に侵入を防ぐための山門のようになっていますね。

田島神社

 

鰹木が5本で千木は縦切りなのは、完全に男神を祀っていると言うことですが、それは相殿の稚武王を祀っているからと考えるべきなのでしょう。

本殿の奥の山を登っていくと、奥宮としてたくさんの磐座があります。

ここも縄文の時代から聖地としてかつ、船の往来の拠点として脈々と時代を変遷してきたでしょう。

田島神社の奥には磐座がいっぱい!!

 

最後は田嶋神社。

田嶋神社

この神社は、海路から入ってきた情報を陸路からも伝達できるように馬も出せるようにしていたことから登望(とものうまや)駅がなまって殿ノ浦となったということです。

本殿の背後にもう一つ神社があることから、主祭神は水軍を率いる安曇野族とのつながりで宗像三女神が祀られつつも、地元の民が崇拝する産土神の両方が祭られている。

こうしたとことが、なんでも受け入れる日本の神社のおおらかさ(多分、海外ならどちらかしか残さない。)なのでしょうね。

本殿の背後に産土様が祀られている

近くに「呼子」と言うところがあり、毎朝、「朝市」が開催されています。

そこでみたものはイカプレスせんべい

イカを丸ごとプレスして作った煎餅で注文してから5−10分程度で出来上がります。

お持ち帰りはダメで、その場で食べないといけないのですが、とにかくデカイ!

一度お試しあれ。

NHK「朝いち」より。画像

 

www.karatsu-kankou.jp

 

弥栄

 

九州の神社詣りシリーズ(1)〜宮地嶽神社〜

年始の業務がスタートした最初の週末。

成人式が1月15日から1月の第二月曜日に移動したおかげで3連休となって久しいですが、今回はこの3連休を利用して九州の神社参りをしてきました。

その中で印象深かった神社をいくつか紹介していきます。

今日は宮地嶽神社です。

山一帯が全て御神体で「私が宮地嶽神社!!」と言わんばかりの大きな神社です。

創建は西暦 300年代と由緒には書かれていますが・・・

山頂の「古宮」には突き立った磐座があり、古来より御来光遥拝所として拝していた頃から縄文時代より、信仰されていた場所であり、山全体がご神体として存在していた「太陽信仰の聖地」であることは間違いないと思います。

ここで御祭神である神功皇后が、

「天命を奉じて彼の地に渡らむ。希わくば開運を垂れ給え。」

祈願されて大陸へ出兵されました。

山頂の古宮にある磐座

 

2月と10月のある日にしか遭遇できないそうですが、

神社の三の鳥居から見ると、

登ってきた参道の先にある『相島』に夕陽が沈み・・・

参道が光り輝く『光の道』 が出現!

するそうで、これも古くからの太陽信仰の名残なのでしょうね。

光の道

 

ちなみにモンゴルの言葉で太陽って「ナラ」と呼ぶそうです・・・

ひょっとして「奈良」と関係がある??

山頂から降りていくと不動さんがある(神仏習合がしっかりと残っています)のですが、

それが、6 世紀末頃に造られた日本一の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳なのです。

写真は厳禁でしたので撮影しませんでしたが、少しだけ中に入ることができます。

不動神社 この奥が古墳になっている

時期からして、宗像(むなかた)氏が趨勢を極めた時期であることから考えると、宗像氏の一族が埋葬されているのではなかろうかと思ったのですが、当時の豪族で、筑後を基盤として、北部九州一帯を勢力範囲とした「筑紫の君磐井」とも言われているそうです。

この巨大古墳は、江戸時代に発見されたそうで、その際に特大太刀や刀装具、馬具類や緑に輝く瑠璃壺、瑠璃玉、そしてガラス板などが発掘されました。

 

・・・ 江戸時代にも発掘好きの考古学者はいたのでしょうね。

 

神社側としては、「人間がもつ願い(欲)を完璧に満たす」、つまりどんな大願も叶う(何事にも打ち勝つ)よう『開運の神』や『商売繁盛の神』が集まる神社として「奥之宮八社」を作ったのではないかと思います。

 

そんな宮地嶽神社の本殿ですが、

鰹木は7本、千木は水平に切られている

ということは・・・

性神x女性神

の組み合わせになります。

でも、

全部金色の鰹木って初めて見た・・・

本殿の鰹木と千木

主祭神神功皇后だとすると・・・

裏に男性神が祀られているはず・・・

ここにいるのは、息長足比売命(神功皇后)なのか?

裏に祀られているのは誰なのか?

 

うーん わからん!!

 

弥栄

 

 

年始のご挨拶で美味い店を発見!!

昨年の7月より千葉に転勤となったおかげ(?)で、年始の神社への年始挨拶は香取神宮となりました。

昨年は雪で移動が大変だったようですが、今年は快晴!!

やはり、日頃の心がけが大切なのでしょうか?

香取神宮にて年始のご挨拶

そういえば過去に香取神宮に関するアーカイブは載せていますので、興味がありましたらご覧くださいませ。

香取神宮ってつくづく謎の多い不思議な神社ですよ。

とはいえ、明治に入る前までは、日本にはたった3つしか神宮は存在しておらず、香取神宮は大変重要な神社ではないかと思っています。

ちなみに残りの2つの神宮は、伊勢神宮鹿島神宮です。

524syuzoku.hatenablog.com

 

お祓いを受けた後、社員向けの安全運転のお守り、お札をゲット(後は参道の入り口にある梅乃屋のお団子も)して、帰り道に昼食で寄ったところは・・・

 

丸光亭!(「まるこうてい」とよむそうです。)

とにかくコスパがいい!

日替わりの定食もかなり種類があるので迷いましたが、選んだのは5種刺身盛り定食でした。

↓の写真の中にも似たようなものがありますので、探してみてくださいませ。

丸光亭 - 水郷/そば・うどん・麺類(その他) | 食べログ

 

この丸光亭でのおすすめはレジの近くにあるお土産です。

1Lペットボトルサイズのドレッシング、お漬物etc・・・

みているだけでも楽しいのですが、お勧めされたのは落花生。

昨年より価格が2割ほど上がっているそうですが、お値段は1,100円(税込)

まだ味わっていないのですが、過去に購入した方は大絶賛されていましたので今後の年始お祓い後の定番ルートになるかもしれません。

大容量の落花生!

後は、社員へのお土産に買った団子ですが、なんと「神社検定」のコラムの中にも香取神宮の草団子について書かれているのを発見しました!!

なんと団子神事もやっているそうですね。 行ってみたい!

www.jinjakentei.jp

 

今年は「みずのとう」の年ですね。

十干十二支の通り60年周期で歴史が繰り返すのであれば・・・

ちょうど60年前に、池田勇人首相が「所得倍増論」を打ち出しました。

なんとその5年後に日本国民の平均所得は2倍になりました!

(物価も上がりましたけどね)

 

さぁ、今年の「う」、来年の「たつ」を通して「うだつの上がる」未来を作り上げていきたいものです。

 

弥栄 

 

 

復活します!

新年あけましておめでとうございます。

昨年3月ごろからプライベートと仕事でバタバタしたために休止していましたブログですが、なんとか復活したいと思い令和5年の年始より再出発したいと思いますのでよろしくお願いします。

 

この3月からは色々なことがありましたし、やりました。

コーチングのトレーナーとしての資格を取るための勉強

・生まれてはじめて選挙のお手伝いをしたこと

・単身赴任生活

・謎の腰痛からの復活ストーリー

・沖縄にて神楽の奉納

・無農薬野菜の宅配会社から購入した野菜の食べ比べ

 

等々、また機会を見てブログに上げていきたいと思いますが、今回は相変わらずですが酒蔵巡りということで千葉県の神崎(こうざき)にある寺田本家の「むすひ」を紹介したいと思います。

昔、発酵と腐敗の違いについて学んだことがありますが、この違いってわかりますか??

答えは・・・

 

微生物が有機物に働きかけて人間に有益なものを産みだことを発酵と言い、有益でないものを生み出すことを腐敗というそうです。

考えてみれば、ずいぶん身勝手な発想だと思いませんか?

とは言え人間、特に日本人は発酵とは関わり深く、数多くの食品を作り出していますね。

その際たるものが日本酒!!

 

血糖値が下がってしまうという玄米から醸造する「むすひ」

この「むすひ」ですが、23代目が病に倒れてしまった時に己の体が腐敗していくとしに向かっていくが「発酵」している状態だと健康が保たれることに気づき、全快した後に、酒もきちんとした発酵をさせたものを顧客に提供すれば世の中もうまくいくはずだという信念のもと、酒造りを探求して言った結果、行き着いたのがこの「むすひ」なのです。

この「むすひ」ですが、なんと精米歩合100%で無農薬玄米から作っている日本酒なのです!

栓を開けようとすると「プシュー」と泡を吹くのでゆっくりと栓を回していかないと吹きこぼれてしまいます(要するに瓶の中でも発酵が進んでいるということですね)

 

アルコール度は10%程度で低いし、栓をあけて置いておくとだんだん酸っぱくなっていくし、甘酒に少しだけアルコールが入ったような見かけなので、嫌な方は「こんなもん、日本酒ではない」というかもしれませんが、個人的には面白い酒だなぁと思っています。

あと、「保管の際は、絶対に寝かせることなく必ず立てておくこと。」言明されましたので、約束は忠実に守って一本開けました。

実は年末にもう一本購入したので、現在は冷蔵庫に立てた状態で保管中です。

 

寺田本家の入口

再会早々、日本酒談義になってしまい申し訳ありませんでしたが、引き続きよろしくお願いします。

 

弥栄

 

 

松本を堪能する 〜戦国と江戸を駆け抜けた松本城〜

ちょっと用事があって長野県松本に行ってきました。

松本駅から徒歩で15分ほどのところにある松本城

平日の夕方だったこともあり、観光客が少なくゆっくりと見ることができましたが、天守閣の上まで登るのはなかなか大変でした。

外人の老夫婦が「ヒイヒイ」言いながら、巨体をゆらせて階段を登っていたので少し笑えました。

 

松本城は、戦国の初めに小笠原氏の支城としてこの地に永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城、黒を基調とした色が、戦国時代を生き抜いてきた雰囲気を醸し出していますが、まさしく戦国大名が領国をめぐる争いを繰り返してきた戦国時代、甲斐の武田氏が小笠原氏を追放し、深志城を支那の支配の拠点にしました。このため常に敵と戦い、敵から領国を守ることを念頭にした戦略拠点として城は造られたようです。

そういえば城の近くには深志という地名が残されていて、そこにある「深志高校」は松本でも有数の進学校だそうです。

松本城の大天守はかなり高いですが、これは戦国時代の末期に、関東の徳川家康の監視という役割を負って築造されていますし、そこかしこに弓や鉄砲を放つための小さな窓があります。

武田氏が滅亡した後、小笠原氏が深志城を取り戻し、松本城を名を改めました。

戦国時代が終わり、小笠原氏が関東に移ったため、石川氏が城主となり戦う目的を持たない、どちらかというと徳川家が松本に来た際に「ご接待」を目的とした櫓が建てられたのが、辰巳附櫓・月見櫓の二棟とのことで合計で5つの棟が密集したような形で城が形成されている珍しい形になっています。

このように、異なる時代にわたってそれぞれが結合された天守・櫓が複合しているのが松本城であり、戦国期と江戸期を跨いで性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は日本で唯一、松本城しかない特徴です。

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松本城

そういえば日本で現存する5層建ての城は姫路城とこの松本城だけだそうです。

姫路城の真っ白に対して、この黒が基調になっている松本城は一度写真を並べてみたいものですね。

ということで、上下に並べてみました。

青空に映える白鷺城_姫路城

 

どうですか?

どちらも圧巻ですね。

 

弥栄

古事記の絵本 〜やまとことば神話(3)〜

やまとことば神話の3回目です。

前回は「宇宙の形ができてくる」ところまででしたね。

そして地球の形を作ったのが・・・

クニノトコタチ

となります。

 

当時の地球は真っ赤に燃えるような球だったのでしょうが、そこに宇宙線が当たることで徐々に水蒸気が雲となって大気ができ、水が循環する環境が作られてきたのではないかと思います。

それで『トヨクモヌノカミ』が次にきたと考えるとわかりやすいですね。

やまとことばですと、「ク」は結合の意味で、「モ」は微細なものを指しているので、まさにピッタリですね。

 

この「地球のもと」であるマグマの塊のような球が変化して、今のような動物や植物が豊かに育つ環境に作り上げていくために

4組の男女神が活躍しました。

 

ウヒヂニノカミ」スヒヂニノカミ」は、ドロドロの地球がブクブクと泡を出して呼吸をしている様子を・・・

 

そのドロドロの塊がだんだん冷えてきて、「ツヌグヒノカミ」イクグヒノカミ」の力で徐々に固まっていき、その固まった部分が横に広がりながら(オホトノベ)、ぶつかって山のように縦に伸びたり、引っ張られて谷(「オホトノジ」)になって地殻の表面が出来上がったのでしょうね。

 

その地球の表面に雲からたくさんの雨が降り注ぎ、海と川ができ、地球生命体が誕生する環境が出来上がった様子がオモダル、それを讃えているのがアヤカシコネと絵本では説明しています。

 

この後にはご存じ、イザナギイザナミの登場となって「国生み」、人間の始まりとなりますが、詳しくは・・・

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イザナギイザナミ

「絵本 やまとことば神話」をお読みになってください。

 

絵本とは離れますが、講談にも「国生み」の話が(今回のアマノミナカヌシからイザナギイザナギの話はほんの触りの部分ですが・・・)あるのですね。

講談を通して古事記を伝えていけるようになりたいと思う今日この頃です。

www.youtube.com

 

弥栄

古事記の絵本 〜やまとことば神話(2)〜

ご無沙汰しております。

古事記ストーリーの続きです。

アマノミナカヌシ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミが身を隠した後の話です。

宇宙はできたばかりで水に浮いた脂のようで漂っていたようですが、そこからどんどん成長しいくわけですが・・・

その働きをする神が、

ウマシアシカビヒコジ・・・

この名前、「葦が見事に成長する姿」を表しているように聞こえませんか?

小学生に読み聞かせをすると、この長ったらしい名前(ごめんなさい)をすぐ覚えて走り回る子がいるとか。 

やはり感受性の高い子を元気にする力があるのでしょうか?

これが俗にいう「ビッグバン」の後の宇宙の成長にも思えますね。

 

小名木善行先生のブログによると・・・

nezu3344.com

 

小名木先生によると、

「万物のはじまりのときに、最初にあらわれた神様は、とにもかくにも明るくて元気いっぱいの中から生まれたのだ。」
だったら、困ったときには原点に帰る。
その原点というのは、笑顔で活発で、明るくて元気いっぱいの姿です。

はじめに混沌があり、その混沌の中に若い葦の芽のような活き活きとした萌芽が生まれ、そこから新しい社会秩序が生まれてほしいと期待しているのが、先ほどの「ウマシアシカビヒコジ」と叫びながら駆け回る子のように現代の人々ということになるのでしょうか。

 

ちなみにこの後、膨張していく宇宙を形作っていくのですが、それを表現した神が・・・

アマノトコタチ

ですね。

 

私の場合は今日も「弥栄」と掛け声をかけながら一杯飲むのが原点に帰る習慣かもしれません。