ちょっと用事があって長野県松本に行ってきました。
平日の夕方だったこともあり、観光客が少なくゆっくりと見ることができましたが、天守閣の上まで登るのはなかなか大変でした。
外人の老夫婦が「ヒイヒイ」言いながら、巨体をゆらせて階段を登っていたので少し笑えました。
松本城は、戦国の初めに小笠原氏の支城としてこの地に永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城、黒を基調とした色が、戦国時代を生き抜いてきた雰囲気を醸し出していますが、まさしく戦国大名が領国をめぐる争いを繰り返してきた戦国時代、甲斐の武田氏が小笠原氏を追放し、深志城を支那の支配の拠点にしました。このため常に敵と戦い、敵から領国を守ることを念頭にした戦略拠点として城は造られたようです。
そういえば城の近くには深志という地名が残されていて、そこにある「深志高校」は松本でも有数の進学校だそうです。
松本城の大天守はかなり高いですが、これは戦国時代の末期に、関東の徳川家康の監視という役割を負って築造されていますし、そこかしこに弓や鉄砲を放つための小さな窓があります。
武田氏が滅亡した後、小笠原氏が深志城を取り戻し、松本城を名を改めました。
戦国時代が終わり、小笠原氏が関東に移ったため、石川氏が城主となり戦う目的を持たない、どちらかというと徳川家が松本に来た際に「ご接待」を目的とした櫓が建てられたのが、辰巳附櫓・月見櫓の二棟とのことで合計で5つの棟が密集したような形で城が形成されている珍しい形になっています。
このように、異なる時代にわたってそれぞれが結合された天守・櫓が複合しているのが松本城であり、戦国期と江戸期を跨いで性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は日本で唯一、松本城しかない特徴です。
そういえば日本で現存する5層建ての城は姫路城とこの松本城だけだそうです。
姫路城の真っ白に対して、この黒が基調になっている松本城は一度写真を並べてみたいものですね。
ということで、上下に並べてみました。
どうですか?
どちらも圧巻ですね。
弥栄