年始の業務がスタートした最初の週末。
成人式が1月15日から1月の第二月曜日に移動したおかげで3連休となって久しいですが、今回はこの3連休を利用して九州の神社参りをしてきました。
その中で印象深かった神社をいくつか紹介していきます。
今日は宮地嶽神社です。
山一帯が全て御神体で「私が宮地嶽神社!!」と言わんばかりの大きな神社です。
創建は西暦 300年代と由緒には書かれていますが・・・
山頂の「古宮」には突き立った磐座があり、古来より御来光遥拝所として拝していた頃から縄文時代より、信仰されていた場所であり、山全体がご神体として存在していた「太陽信仰の聖地」であることは間違いないと思います。
ここで御祭神である神功皇后が、
「天命を奉じて彼の地に渡らむ。希わくば開運を垂れ給え。」
祈願されて大陸へ出兵されました。
2月と10月のある日にしか遭遇できないそうですが、
神社の三の鳥居から見ると、
登ってきた参道の先にある『相島』に夕陽が沈み・・・
参道が光り輝く『光の道』 が出現!
するそうで、これも古くからの太陽信仰の名残なのでしょうね。
ちなみにモンゴルの言葉で太陽って「ナラ」と呼ぶそうです・・・
ひょっとして「奈良」と関係がある??
山頂から降りていくと不動さんがある(神仏習合がしっかりと残っています)のですが、
それが、6 世紀末頃に造られた日本一の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳なのです。
写真は厳禁でしたので撮影しませんでしたが、少しだけ中に入ることができます。
時期からして、宗像(むなかた)氏が趨勢を極めた時期であることから考えると、宗像氏の一族が埋葬されているのではなかろうかと思ったのですが、当時の豪族で、筑後を基盤として、北部九州一帯を勢力範囲とした「筑紫の君磐井」とも言われているそうです。
この巨大古墳は、江戸時代に発見されたそうで、その際に特大太刀や刀装具、馬具類や緑に輝く瑠璃壺、瑠璃玉、そしてガラス板などが発掘されました。
・・・ 江戸時代にも発掘好きの考古学者はいたのでしょうね。
神社側としては、「人間がもつ願い(欲)を完璧に満たす」、つまりどんな大願も叶う(何事にも打ち勝つ)よう『開運の神』や『商売繁盛の神』が集まる神社として「奥之宮八社」を作ったのではないかと思います。
そんな宮地嶽神社の本殿ですが、
鰹木は7本、千木は水平に切られている
ということは・・・
の組み合わせになります。
でも、
全部金色の鰹木って初めて見た・・・
裏に男性神が祀られているはず・・・
ここにいるのは、息長足比売命(神功皇后)なのか?
裏に祀られているのは誰なのか?
うーん わからん!!
弥栄