REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

御陣乗太鼓とキリコ 〜能登半島の先端へ!〜

今回は北陸シリーズの最後になりますが、神社の紹介ではなく御陣乗太です。

御陣乗太鼓の由来は、以下のエピソードから始まっているようです。

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天正4年(西暦1576年)、越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。 現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。

武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。

村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。

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越後の覇者「上杉」が戦わずして逃げ出すということは、よほど強烈な太鼓と踊りだったのでしょうね。

 

このように歴史のある太鼓ですが・・・

発祥の地である石川県輪島市名舟町は、現在、世帯数約70戸、人口約250人の小さな小さな町で、その中で約20名の打ち手が御陣乗太鼓の選手として活動しているという事で、これからの継承も進めていかないといけない大切な文化ではないかと感じました。

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今回は、輪島キリコ会館で御陣乗太鼓の無料実演会がありましたので、そこで太鼓の実演を見ることができました。

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御陣乗太鼓

御陣乗太鼓を打ち鳴らしている打手の方の後ろにあるのが、キリコと呼ばれているものですが、その大きさが良くわかるかと思います。

 

キリコとは・・・

「切子灯篭」(きりことうろう)を縮めた呼称で「切籠」と書き、中能登近辺では「奉燈」(ほうとう)とか「御明かし」と称するところもあります。

この「キリコ」が神輿の渡御(とぎょ)にお供して道中を照らし、神様をお守りしながら漂い、乱舞する祭りが「キリコ祭り」です。

能登でキリコ祭りが行われるところは、およそ180箇所あまりで、7月から9月半ば過ぎまで能登のどこかの町や村で毎夜のごとく、若衆の威勢の良い掛け声と笛、太鼓、鉦の音が聞こえてきます。

元は笹に御神灯を付けて持ち歩くことができる「笹キリコ」という小さなものでしたがやがて木製となり、漆塗りや金箔が施され、彫刻まで競い合うようになっていきます。江戸時代以降になると高さ10メートルを超える大型で豪華なキリコ現れるようになりました。

明治の中頃、輪島にはそのような大きいキリコが十数本も神輿に伴っていたと言います。

しかし、電線が張られるようになってからは4−6メートルほどのやや小型のキリコが主流となりました。

 

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キリコが勢ぞろい!

江戸の頃の輪島は、海路で物流が盛んでしたので、その中継地点として輪島も発展していたのでしょうね。(金沢あたりから車で行くとかなりの距離になりますが・・・)

この日の夜は、↓の丼ものをいただきました。

天ぷらになっているのはフグです。

フグの丼物は初めてでしたが、あっさりして美味でした。(残念ながら一杯やることはできませんでしたが・・・)

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フグどん

今回の北陸の神社巡りで感じたことは

皇紀よりももっと以前(3000〜5000年前)の時代には、太平洋側よりも日本海側の方が大陸の影響を受けやすく、大陸から多くの人たちが自然豊かな日本に住み着き、生活をしていたのではないかと実感しました。

その流れの中で、先住民族として暮らしていた縄文人たちが実践している自然信仰(磐座・山・滝 etc・・・)を引き継ぎながら、その神聖な場所を神社・寺として崇めていくことでこの日本という特別な国の文化に気づき・目覚め、その遺伝子が現代にも継承されているのではないかと感じています。

脈々と継承されているこうした文化を、これからも次世代に繋いでいくことが我々日本人としての義務なのではないかと思いますし、これからもこうした発信をしていきたいと思います。

長々と、北陸シリーズにお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

弥栄