今日は、出須流岐比古神社(イズルギヒコ)の下宮といわれていた天日陰比咩神社の話です。
由緒には、
祭神 矢船久久能智命(ヤフネククノチノミコト) 草木や建造物の守護神
当社は人皇10代崇神天皇の御宇御鎮座の官幣社で、二千百余年の歴史を持つ延喜式内社であります。また往古より菊御紋を装飾した郷十八か村の総社氏神でもありました。
建長四年(鎌倉時代)には能登国二宮となり 文徳天皇より後圓融天皇まで九度の神位を受けております。
社殿後山は天日加気山といい 大御前嶺社は 羽咋鹿島両郡の雨乞所後であり 中御前は崇神天皇の御廟跡で 印色入日子命(イニシキノイリヒコノミコト)(垂仁天皇の御子)の御陵墓跡とも伝えられています。
御祭神である矢船久久能智命は、伊奘諾と伊奘冉より生まれた木の神なので、神社の創建の時期はかなり古いことがわかりますね。
しかも、神社の後ろの山が信仰の対象である御神体になっていることから、この辺りは縄文の時代から信仰の対象になっていたのではないかと感じられますね。
なぜか狛犬が逆立ちしています・・・
出須流岐比古神社が、外に出さないような重い感じのする神社でしたが、ここはオープンな感じの神社でした・・・ さて、この違いはなんなのでしょうか??
おまけ
砂浜でこのような芸術を見つけました。
冬に入ると「日本海の荒波」は強風を伴って厳しい冬を演出していますが、秋口ですとまだまだ芸術を楽しむことができるのですね・・・
でもこの砂・・・どうやって固めたのでしょうか??
弥栄