今日の一番手は「白鷹」です。
紹介するのは2回目ですが、今回は、超特選を購入しました。
この日本酒の原料となるお米は、六甲山の北部の兵庫県吉川町で栽培される山田錦を使っています。
前回、紹介した白鷹「しぼりだし生原酒」の2本の紹介は、私の過去ブログを参照してください。
実はこの日本酒、伊勢神宮御料酒に選ばれていて日々、神宮の神々に供えられています。
そのあたりの経緯を調べると以下のようになります。
昔、伊勢神宮の禰宜であった中田正朔(なかたせいさく)が、明治26(1893)年に廣田神社の宮司として西宮にいた時に、数多くの日本酒を堪能され、その中でも最も白鷹を気に入っていたようです。
後年、神職を辞した中田正朔は伊勢に戻り、酒屋をはじめました。
中田正朔は私のように、よほどお酒がお好きだったのでしょうか・・・
その後、大正7(1918)年に、澤瀉(おもだか)家が白鷹の三重県下の取り扱いを一手に引き受けるようになりましたが、実は、正朔は澤瀉家の3男として生まれたのち、「御師」を生業とする中田家の養子となっています。
ちなみに御師と御師(おし/おんし)とは、特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者でした。
当時の伊勢神宮あたりですと、お伊勢さん参りと称して参拝・宿泊・遊興の3本柱が盛んだったでしょうからさしずめ、トラベルエージェントみたいなものだったのでしょうね。
しかしながら、明治に入ると、政府主導で改革が始まり、明治4年(1871年)7月には御師職そのものが廃止、ほとんどの御師は平民に編入されてしまい、百姓や宿屋経営などに転じていくことになっていたので、この時期に澤瀉家にとっては、白鷹を取り扱える「代理店」になることは渡りに船だったのかもしれません。
大正時代に入って、澤瀉家が白鷹の販売代理店として白鷹を三重県下で取り扱ってきた結果、白鷹のネームバリューも地元で有名な酒となっていたタイミングで・・・・
大正13(1924)年、伊勢神宮で御料酒を決める品評会(?)がありました。
その際に、全国の蔵元からの日本酒を抑えて白鷹が神宮御料酒となりました。
天照大神の荒御魂である瀬織津姫にゆかりのある廣田神社の近くで醸造される「白鷹」が天照大神を中心とする伊勢神宮の御料酒に採用されている・・・
どうですか?
白鷹を飲んでみたくなったでしょ?
弥栄