今日は万葉集について。
「令和」という元号は、万葉集の「初春は令き月にして気も淑くて風和み・・・」という歌から取られたということで一瞬、万葉集に関する国民の関心が高まりましたが、再び静かになっていますね。
私がファンの小名木善行先生が最近、万葉集に関する新刊を出版されました。
小名木先生は百人一首で詠まれている歌に関しても一般とは違った観点から解釈された本も出版されていますが、今回の新刊も一般の方が解釈をされている観点とは違った見方で説明されています。
それは、
歌が詠まれた当時の時代背景と当時の人間関係を十分に配慮してお話されている
ことではないかと考えています。
この、「ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集」を読んでみて、改めてこの歌が詠まれた当時の時代背景を振り返る機会を持つことができました。
万葉集が編纂されたのは758年から780年の間と言われています。
そして、
万葉集で編纂された歌は、630〜760年の130年間で詠まれた歌
が対象になっています。
さて、当時の日本で起こった最も大きな事件は何と言っても、
663年 白村江の戦い
です。
この白村江の戦いで、百済を助けるために倭国(日本)が軍を送りましたが、唐と新羅の連合軍に敗れて朝鮮半島への足がかりを失い、加えて唐はさらに日本侵攻を企てようとしている状況下になりました。
このため、九州一帯の国防を護るために防人を当たらせました。
さて、今年の令和の名付けの歌となった「梅花の花三十二首の序文」は、730年に当時、太宰府の長官であった大伴旅人の屋敷に集まって宴会をした際に歌われたものです。
従って当時の時代背景から考えると、この歌は大陸からの防衛のために太宰府に赴任していた防人たちが宴会に参加している中で歌われたものであると考えるのが自然であり、
「新春の平和な風景」を述べていることに加えて、
「兵士の一人一人が愛する家族、国中の人々の平和で豊かな暮らしを護る思いから日本を守っていきたい」という意気込みを表現した歌であることがわかります。
なんだか、今の日本、中国、韓国との関係にも似ているような・・・
と思うのは私だけでしょうか?
小名木先生は、百人一首に関する本も同じような深い洞察で解釈された本も出版されていますので是非、読んでみてください。
次回は、額田王について
弥栄