今回は、ヴィラ・ジェリア博物館の内部についてです。
ここが良い理由は、なんといってもバチカン宮殿と違って観光客が少なく、じっくりと展示物を見ることができることだと思います。
そういう意味ではローマ観光において穴場なのかもしれませし、ローマ文化の根源に、どのような文化が根付いていたかを確認することができる博物館だと言えます。
では、当時の文化がどのようなものであったかを知る手段として、当時に墓で埋葬されているもの推定しています。 まるで日本の古墳、エジプトのピラミッドと同様ですね。
その結果、紀元前8世紀の頃のエトルリア人の死者は火葬して骨壷に入れられて埋葬されたようです。
しかも、集落から離れた共同墓地(ネグレポリ)のようなところに集められて埋葬されていました。
当時の埋葬品がこれです。
なんか、縄文土器っぽいでしょ?
後ろにある壺にお骨を入れて埋葬したようですが、よく見ると人の形を真似て作った壺になっています。
向かって左側は女性、胸のふくらみがありますね。右側は軍人しょうか?カブトのようなものを頭にかぶってますね。
ひょっとして埴輪や土偶の代わりに使っていたのでは??
なんて思うのは私だけでしょうか?
その他手前の左には女性が使う髪飾りやネックレス、右には鏃や棍棒のような男性が持つようなものが埋葬されていました。
この頃の埋葬品から考えると当時、東の方からイタリア半島に流れ着いたエトルリア人の初期の文明だったのではないでしょうか?
もちろん、彼らは東から船でやってきたと考えると航海技術が高かってわけで、当時からイタリア半島を中心にギリシア・エジプトとも広く交易をして、多くの文化を取り入れて融合させて行ってきたようです。
エトルリア人は紀元前5世紀に入ると、ギリシアからの文化を取り入れて埋葬される壺の形態も変化してきています。
何か「弥生式土器」に似ていませんか??
また、エトルリア人がエジプトとも交流があったことを示すものとして写真の「2」の容器があります。
なんとこの容器は、香りをつけたナイル川の水が入っていたそうでエトルリア人は毎年の年始の贈り物として使っていたそうです。 粋ですね。
あと、エトルリア人は宴会もワインも好きだったようです。
その話は次回に。
弥栄