REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

ヴィラ・ジェリア博物館に侵入(2) 〜夫婦の石棺〜 死んでも永遠の宴会!

 当時、エトルリア人にはすでに「饗宴」として、皆で一緒に食事を食べるローマの文化を取り込み、その宴会の場でワインを嗜む文化があり、そのワインを通してギリシア、ローマとの交流があったと言われています。

 

しかしながら、ギリシア・ローマと違った点は、その宴会を男女が一緒に集い、楽しんでいたことです。 

今ですと、「当たり前やん!」という感じですが、不思議なことに当時のギリシャでは男女が一ケ所に集い、こうした宴会を楽しむことはなかったようです。

 

当時の様子を示すものとして、有名な(?)「夫婦の石棺」が挙げられます。

(この写真を何枚も取っているとある方から、『そんなにこの石棺は有名なの?」と聞かれたのであえて「有名な(?)」としましたが、惹きつけられますよね)

 

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夫婦の石棺

もっとアップにすると・・・

 

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夫婦の石棺(2)

どうですか? いいでしょ?

こんな石棺が紀元前5世紀に作られていたのです。

後ろからの写真も撮りましたが、機会があればアップします。

 

これは石棺ですから、旦那、妻が亡くなった時には順番にこの石棺に入れて弔っていたのでしょうね。

 

 話は変わりますが、

中学生の頃、A:キス、B:○ッティング、C:○EX・・・・なんて言って騒いでいたことを振り返ると、

夫婦で同じ墓に入るのはさしずめ『Z』の称号

を与えたいぐらいですね。  失礼しました。

 

話を戻すと、この石棺からわかるようにエトルリア人は、ギリシア・ローマとは違い、女性の地位の高い(男性との関係がOPENだった)ことがわかります。

また、石棺の夫婦の顔を見ると、東洋人的な目(というより私にはウルトラマンの兄弟ではないかと思ってしまいました)をしており、石棺の保存状態が良いものには色が施されていたそうです。 

ちなみに、女性の顔には(白粉を塗ったわけではないでしょうが。)白が塗られていたそうです。

 

当時は夫婦仲良く平和な生活を送っていたのでしょうね。

 

あと、番外編として・・・ 世界一古いメデューサの面がこれです。

 

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メデューサの面

多少、愛らしく見えますね…

 

では、次回は集団墓地(ネグレポリス)の話です。

 

弥栄