REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

ドゥオモで・・・ ミイラ発見!

まず、フィレンツェのシンボルであるドゥオモ(花の聖母大聖堂)について。

「そんな基本的なこと知っていますよ。」

という方は飛ばしていただいて結構ですが、

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ドゥオモ

 

とにかく大きいので一枚の写真には収まりきりません。(私の技量不足もあり)フィレンツェにおける「太陽の塔」みたいなものかもしれません(古くてすいません。)

 

今回たまたまですが、このフィレンツェのシンボルであるドゥオモ(花の聖母大聖堂)を見学していた時に、こんなシーンを発見しました

横から撮った写真ですが、ドゥオモの中心に当たる主祭壇の前に安置されていました。

 

 

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サンタ・レパラータ?

 

 

ガイドの方に確認すると初めて見たようで、教会の方に確認していただくと、「この教会に関係する女性(サンタ・レパラータ)の方の遺体(ミイラみたいなものでしょうね。)で、普段はあそこに安置されていないのだが、何かの記念日で今日は、人目に触れるところに置いている」ということがわかりました。

合わせて、このミイラは5世紀ごろのものであると確認しました。

 

個人的にはミイラは古代エジプトの時代のものであると考えていましたので、カトリックでこうしたミイラが安置されていることに驚きつつ、疑問を持たずに帰国したのですが、ドゥオモのことを調べていくと、気になることが…

 

「ドゥオモが建てられたのは13世紀からなのに、なんで5世紀のミイラがあんなに大事にされているのだろう?」

 

色々検索してみてわかってきたことは、

ドゥオモが建築された場所は、元々「サンタ・レパラータ教会」があり、それを取り壊して建物が建築されたとのこと。

 

サンタ・レパラータを調べていくと面白いことに、パレスチナ地方の生まれの女性で、ローマの皇帝デキウスの迫害の際に11歳で斬首されたということです。

ということは、3世紀半ばの人ということになりますね。

「これだと、レパラータとフィレンツェの関係もわからないし、どうも年代が合わないなぁ…」と思いつつ、さらに調べていくと、フィレンツェでレパラータが有名なのは、

 

405年の10月8日に東ゴートのラダガイスス王がフィレンツェを包囲した時にレパラータが十字の旗を持って中空に現れ、スティリコ率いる西ローマ皇帝ホノリウス軍の勝利につながった

という伝説があるということがわかりました。

 

レパラータはフィレンツェ守護聖人だったのですね。

 

確か、私がドゥオモに入った日は・・・ 10月7日!

きっと、10月8日のレパラータの祭典に向けて主祭壇の前に安置されていたのでしょうね。

 

とはいえ、サンタ・レパラータについてまだ不明な点がありそうですので、知見のある方はコメントいただけますと嬉しいです。

 

弥栄