神社史によると、
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和銅年間(708~714)に筑紫国宗像大神(つくしのくに むなかたの おおかみ)(現在の福岡県の宗像神社)の工女が山代へ来て、機織や裁縫の技術を伝え、機織の神の天羽鎚雄神(あめのはづちをのかみ)を祀(まつ)るとある。元は大堰神社(おおひじんじゃ)付近にあり、貞観16年(874)に従五位の位が与えられ、延喜式明神帳(927)にのっている山背郷社(やましろのごうしゃ)と考えられている。
花山法皇が北陸を巡行し、参拝したという時代には、たいへん立派だったこともうかがえる。しかし、天文21年(1552)、越前の朝倉義景の戦火にあって社殿が焼失。
江戸末期には廃絶されていたが、明治8年(1875)、現在の場所に服部神社を再興。菊理媛神(くくりひめのかみ)をまつる白山神社と合併して郷社(ごうしゃ)となった。
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という歴史ですが、こじんまりした神社の中に多くのものがぎっちり詰まっていたように感じました。
ちなみに、大堰神社のHPです。
従五位の位が与えられた年がズレてますが、気にしないで行きましょう。
「服部」という名前で連想するのは、「服部半蔵⇨忍者」というのが私の思考のパターンなのですが、やはり、服部というのは行者から忍者に近い天狗族に由来しているようです。
機織の神の天羽鎚雄神とは繋がらない感じがしますね。
入り口には一言地蔵・・・
「お寺なのにお地蔵さん?」と思いましたが、一生で一度だけお願いを叶えてくれるそうなので、参拝される方は試してみてくださいね。
鳥居をくぐって境内に入ると左手に馬の像があります。
ペガサスのように羽が生えているのは羽衣を着せているのでしょうか?
やはり、天羽鎚雄神の機織りの衣と関係しているのでしょうか?
あと、参拝するときに驚いたのは、狛犬の位置が左右逆・・・
これは神社の中から外に出さないようにするためにこうして置かれているそうです・・・
さらに手水舎が鷲を彫ったもので思わず八咫烏を連想してしまいました。
境内の由緒書によると、
天羽鎚雄命は、天太玉命に隷属せる天日鷲命の御子にして初めて麻をもって丈布を織り給ふて機織の業に特に功を成したまへり。
とありますので、天太玉命とその子分の天日鷲命が機織りの工女を集めてこのエリアに住まわせ、麻織物を編んでいたのでしょう。
山代温泉の近くで、保養に来る旅人ばかりのような感じがしましたが、当時は機織りも盛んだったようです。
ちなみに近くに山代温泉の総湯があります。
山代温泉の開湯の歴史は古く、神亀2年(725)に行基が白山登山の道中に自然湧出していた温泉の効能を発見し、温泉寺を開いたのが始まりとされています。
ここの温泉はあまりキツくないので湯当たりしにくいそうですので、一度、長期間滞在してみてはいかがでしょうか?
弥栄