今日は越の国の話です。
江戸時代は越前、越中、越後と3つの所領に別れてしまっていましたが、古事記が描かれるその昔、越の国は福井県から山形県に至るまでのかなり広範なエリアのことを「越(高志)の国」と呼ばれていたようです。
古事記によると、このエリアを大国主(オオクニヌシと読みますが、人物名ではなく総理大臣のような役職名)が何代かに渡ってこのエリアを治めていたようです。
当時は舗装された道路もなく、人と物の移動は主に船で海・川を伝って行なっていたために港から栄えて行ったのでしょうね。
そばはコメを作ることのできない痩せた土地でいかに生活していくかを考えて、「どのような植物を植えるのが適切か?」「美味しく食べるにはどう調理するか。」についてを考えて作り上げられたできたものですが、特に戸隠そばは、
戸隠そば:山岳信仰の栄えた戸隠には、古くから修験者が多く集まってきた。彼らの携行食料として、そばが戸隠にはいってきたと伝えられている。当時のそばは、現在のそばきりではなく、そばがき(蕎麦がき)やそば餅のような形態であったと考えられている。(ウイキペディアより)
という特徴があります。
まず、そば餅が出てきましたが、これが美味しい! 味は、そばというよりもとろろ芋をすったものを丸めて焼いた感じの味。
ついでに日本酒もいただきました。(いつものパターンです。)
日本酒は長野県の県花の名前と同じリンドウのマークの入った「渓流」(遠藤酒造場)でしたが、初体験のお酒でした。生貯蔵酒ということでお酒が苦手な方も挑戦されていました。
その後、出てきたのが戸隠そばです。
蕎麦殻が少ないので、出雲そばと違って色はどちらかいうと白いです。 このそばの盛り方を「ぼっち盛り」と言います。
そば団子頂いた後でしたので、とろろそばをイメージしておりましたが、この色白のそばをぼっち盛りにすることが要因なのでしょうか「さっぱりとした」喉ごしでありました。
次回は新潟のそばについて。
弥栄