ここは、平泉寺が栄えていた頃、政治の中心としての役割があったそうです。
つまり、
平泉寺は都の中心としてたくさんの人々が生活する拠点として繁栄していて、永平寺は政治の中心として別々に機能していたいたようです。
こうしておけば、戦乱が起こっても政治の機能を奪取したほうがそのまま都の機能を手に入れることができるので、民衆を戦乱に巻き込むことなく平和裡に解決しますからね。
そう考えると、一向宗徒が平泉寺を焼き討ちしたのは当時の時代ですと反則技ですし、近年世界中で起こっている戦争も同様ですね。
参道を登っていくと一葉観音が見えてきます。
説明書にはこうあります。
観世音菩薩は、世音を観じて慈悲の手を垂れられる菩薩で、機に臨み変に應じて種々の相を現される。
昔、道元禅師が仏法を求め大海を渡られたとき、大時化に遭って難儀をされた。船上で端座し観音経を念誦されると、浪の上にこの一葉観音が妙相を現された。
やがて浪も静まり平穏無事に航海されたという事から、後の人々が旅の安全を願い、又人生航路の平安を願う信仰となり、一葉観音講中の方々の発願によってこの尊像が出来、今日に至っている。
とあります。
やはり政治は、世音を観じて困っている人に慈悲を垂れ、世界の情勢を見てその動きに応じて変化していく(あるいは変化しない)ことが必要で、そうした政治家が現れて欲しいし、これを理解する民衆の民度があることが必要ですね。
参拝の帰り道に見つけたもの・・・
ゴジラ(?)と書いてしまいましたが、水を司る龍神様を現しているのでしょうね。
ちなみにシンガポールだとライオンがベースとなって・・・
こんな感じになるのでしょうね。
年代的には歴史が全く違いますが・・・
弥栄