今回立ち寄った博物館で「白山平泉寺」(吉川弘文館)という本を手に入れましたが、その内容を一部抜粋します。
福井、石川、岐阜の3県にまたがる秀麗な白山は、一年の大半が深い雪に覆われます。麓から仰ぎ見ることができる純白の山容からは、人々を簡単によせつけない気高さ、足を踏み入れてはいけない聖域といったイメージが感じられます。
この聖域に初めて分け入ったのが越前の僧「泰澄」で、今から1300年前のこととされています。10世紀ごろに原型が出来たとされる「泰澄和尚伝記」によると、
「泰澄は母の生誕地である伊野原の東の林東(平泉寺白山神社の御手洗池)で女神が降臨するのを見て、この地が聖地であることを知り、さらに女神の導きで白山の山頂に初めて到達することができました。・・・」
と伝えていて、養老元年(717年)に越前馬場平泉寺の開山につながったとされています。
多分、このときに泰澄が歩いた道が、
後の越前馬場と白山を繋ぐ禅定道だったようです。
その他、美濃の長滝寺も養老元年の開山伝承があります。
一方、加賀白山本宮は社伝では、崇神天皇7年(紀元前91)の開山とされ、霊亀2年(716)に手取川湖畔の近くに遷座したと伝えられています。
この3つの「馬場」ですが、春になると白山の雪解け水が地面を通って湧き出してくる場所であり、平坦地になっていたことから、白山登山を目指す人々はここで馬を降りて修行に向かったところだったのでしょうね。
やはり、当時は水源が豊富な場所を押さえておくことが、
宗教都市として発展していくためにも、
戦乱で周りを囲まれても自給自足していくためにも、
最重要事項だったのでしょうね。
加賀白山本宮の社伝にあるように、
白山本宮が崇神天皇によって開山された
とあるところを見ると、泰澄が開山するよりももっと昔に、
白山を中心にした都市(王朝?)が花開いていたのかもしれません。
弥栄