REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

高崎をいく(2) モスラ発見?

貫前神社の参道を降って再び「上州一宮駅」へ。

参道から駅までは本当に土産物屋もない寂しい通りでしたが、車で訪れる方が多いのでしょうね。

駅から高崎方面に2駅戻ると「上州富岡」駅に到着です。

ここには世界遺産になった富岡製糸場があります。

実は、世界遺産の対象になっているのは「富岡製糸場と絹産業遺産群であり、当時の最新鋭の富岡製糸場に対して良質の繭を供給するために日々、優良な蚕の開発、飼育、貯蔵を行なっていた田島家、高山社、荒船風穴の合計4つの資産が対象です。

今回は富岡製糸場のみの見学でしたが、次回機会があれば他の3ケ所も回ってみたいと思います。

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富岡製糸場の地図

入場してすぐに、ガイドツアーに入り(ラッキー!)、工場内をガイド付きで一回りする機会を得ました。

明治時代の女工というと、野麦峠を連想(野麦峠の舞台は飛騨〜諏訪、岡谷です)させられて、養蚕業は今でいうブラック企業の典型で、出稼ぎ女工の悲惨な面のみが強調されおり「なぜここが世界遺産に登録されたのか?」と感じておりました。

ガイドの話によると、実際の女工たちの1日の労働時間は7時間、宿泊施設はもちろん診療所まで完備されており、盆暮れには給金をもらって実家に帰って家族と過ごしていたとのこと。 写真の左下のブリュナ館はフランス技師のブリュナ氏のために建造した館でしたが、彼は3年で帰国したため、女工向けの教室に改造してそこで勉強も教えていたそうです。  

という意味では、女工は憧れの存在であり、出稼ぎの行き先によっては悲惨な面ばかりではなかったことを知ることができ、子供の頃に受けた印象操作が解かれて価値のある見学となりました。

また、明治の殖産興業を支えるためにフランスから技師を招いて(ある技師はいつも横浜に遊びに行って帰ってこないのでクビになった者もいるとのことでしたが。)世界一の生糸輸出国に上り詰めた先人の努力にただ頭が下がる気持ちでいっぱいになりました。

一通りの見学を終えて帰路につく途中で見つけたものが…

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蚕の蛹

試しにひとつ食べさせていただきましたが、桑の葉の味なのでしょうか、畳の「い草」の香りがしました。 ゲテモノは気にせずに食べる方なのですが、ビールのつまみに良いかもしれません。

読者の皆さんはそろそろ、「今回の話のテーマはモスラ発見?だったよな。」と思い出された方もおられるかもしれません。 駅に向かい帰り道で見たものは、またまたクロアゲハ?ではありません

今回購入したお土産は… 

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かいこの王国 チョコレート

どーですか? モスラでしょ?

お店で試食したら、かいこの部分はホワイトチョコ、葉っぱ部分には桑の葉が混ぜ込まれていてさっぱりした味でした。 ぜひお試しあれ!

でも、会社に持って行ったら女の子に嫌われるかな?

 

弥栄