REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

高崎をいく

高崎駅から徒歩10分ほどのところにあるB級グルメのカツ丼を食す。

マスターはこの店を69歳で開店、今月で9年8ヶ月になるそうです。

どうみても65歳ぐらいにしか見えませんでした。

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79歳の大将が経営するカツ丼の店

カツ丼を食したのち、高崎駅に戻り、初めて乗る「上信電鉄」で上州一宮駅に到着。

無人駅です)

そこから歩くこと15分ほどで上野國一ノ宮貫前神社の参道入口に到着しますが、入口からは旧な坂道を登ることとなります。すると次に見えるは・・・延々と続く階段。

階段を登りきってもあるのは鳥居のみで本殿は見えません。 鳥居をくぐり、道路を渡る(なぜか鳥居から内側に道路がある)と貫前神社の門があります。

そこをくぐるとなんと!眼下に神社が現れます

なぜこんな作りになっているのか?

こうした形式の神社を「下り宮」と呼ぶそうです。

日本では3神社が有名で、今回参拝した群馬の貫前(ぬきさき)神社と、宮崎の鵜戸神宮、熊本の草部吉見(くさかべよしみ)神社が参道の階段を登り切ると、はるか下に社殿がある神社だそうです。

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貫前神社社殿

御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)として物部氏祖神、姫大神として養蚕機械の神です。 さすが絹織物が有名な土地柄ですね。

創建は531年(1400年前)に物部姓磯部氏により祀られましたが、その当時の名称は「抜鉾若御子神社」と呼ばれていました。

現在の社殿は、1635年に三代将軍家光が建造され、抜鉾若神子神社は社殿の隣にひっそりと建っていますので、参拝に行く方は社殿に加えて旧社殿もしっかり意宣ってくださいね。 きっとご利益があると思います。

門を入って長い階段を下る途中に末者として月読見神社もあります。(ここには月読見とその他17柱の神々もお祀りしている)

先ほど本殿を見下ろした門から向かって左側には、新社殿の建造の際に旧本社の本殿と社領内各地に鎮座していた社殿を末社としてお祀りした場所があります。 

昔、この神社はかなり広い範囲が社領になっていて、多くの神々が祀られていたものを一箇所にまとめたのでしょうね。

 この末社の入り口を入ったところに大きな木が2本、スダジイと銀杏がありますが立派なご神木ですので見てみてください。

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富岡名木10選のひとつである銀杏

場所が飛んで申し訳ありませんが、本殿に向けて参道を下り始めるあたりには右側に「蛙の木」と呼ばれる木があります。

この名前の由来は大東亜戦争の時に遡り、ちょうど戦争が始まった頃、この木に蛙の形をしたサルノコシカケが現れたそうです。 参拝者はこの蛙を「勝ち蛙」と名付けたことから貫前神社の参拝者が増加、現在は「無事カエル」として名物になっているとのことですが、たぶん戦時中に増加した参拝者は、内々に出征した夫・息子が無事に帰ることを祈願していたのでしょうね。

 

全ての社殿に意宣りを済ませて参道を降っていると… なんと参道から出口に向かってクロアゲハひらひらと舞って道案内してくれました。

一緒に参拝した方々は気づかなかったとのことでしたが、私の気のせいでしょうか??

 

次は富岡製紙工場の見学について

 

弥栄