まずは、両国駅の近くの地図からです。
JR両国駅の西口を出ると両国国技館と江戸東京博物館がありますが、その反対側の東口を出て、大通りをまっすぐ歩いていくと回向院(えこういん)があります。
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院。
この年、江戸で明暦の大火が発生、市街の6割以上が焼土となり、10万人以上の尊い人命が奪われたせいで、亡くなられた人々の多くは身元や身寄りのわからない人ばかり。
当時の将軍、徳川家綱は無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸に土地を与え、「万人塚」を建てて、大法要を執り行いましたが、その際、建てられた御堂が回向院の始まり。
この明暦の大火で、江戸城の天守閣も燃えてしまってそのまま再建されることがなかったのは、↓のブログに掲載させていただきましたが、本当にひどい火事だったのでしょうね。
加えて、当時の江戸幕府は民衆のためにいろいろな政策を打ち出していたようですね。
今の政治家には学んでもらいたいところです・・・
さて話を戻すと、回向院の入り口の横に立て札があり、そこに旧国技館に関する立て札が立っています。
その内容を要約すると・・・
旧国技館跡:
旧国技館は、天保4年(1832)から回向院で相撲興行が行われていたことから、明治42年にその境内に建設された。
建設費はなんと28万円(現在の価値で75億円)。
しかし、東京大空襲で3度の火災に見舞われるなど御難続きで戦後は進駐軍接収され、講堂として使われていましたが、昭和58年に解体された。
とのこと。
実はこの旧国技館の跡地で、土俵があった場所なのですが、今は駐輪場になっている円形の場所だそうです。
実際の土俵と比べると1回り大きく感じました。
ちなみに、この回向院ですが、天下の大泥棒、「鼠小僧次郎吉」のお墓もあります。
鼠小僧は、歌舞伎小屋・中村座の便利屋家業を務める家の息子として、日本橋人形町に生まれました。大人になると鳶人足(とびにんそく)となりましたが、素行が悪かったようで25歳の時に父親から勘当されます。
その後、賭博を始め、その資金を稼ぐために盗人稼業に手を染めるようになったようです。
鼠小僧は、
1. ひとりで忍び込む
2. 人を傷つけない
3. 器物の類を取らず金銀のみを盗む
というスタイルで大名屋敷を次々に狙い、盗んだ金は3,000両(諸説あり)、現代の金額で3億円ともいわれます。
日本版ルパン三世というところでしょうか・・・
そのお墓がこれです。
参拝客は墓の前にある「お前立ち」を削って持って帰るようで、かなり変形してますね。(このお前立ちが12代目だとか・・・)
確かに指で擦っても削り取ることができました。
面白いのはむかって左側に「猫塚」があって、ネズミが逃げ出せないようにしているとのことです。
次回は吉良邸のお話です。
弥栄