REIWAに「弥栄!」

    1部上場企業のサラリーマンとして平成から令和の37年間勤務・・・ これからは生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

劍の信仰から「金運」へ:金剱宮の由緒

 

今回も金運にまつわる神社です

石川県白山市鶴来に鎮座する金劔宮(きんけんぐう)は、故 船井幸雄さんが史上最高の「金運の神社」と言ったことで有名になりましたね。

歴史的に見ると、古代の山岳信仰・手取川流域・鍛冶や金属生産・武士の信仰が交差する、非常に重要な古社です。

特に興味深いのは、現在の「金運」というイメージよりも、もともとは「劔(つるぎ)」の信仰です。

由緒では、現在の主祭神は、

天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)

ですが、本当は

瓊瓊杵尊を大國主命として祀るという話もあります。

これは大国主を役職と考えればしっくりきますね

 

また

金剱宮は、古くは「劍宮(つるぎのみや)」といい、

鶴来(ツルギ)の地名の由来となっているくらい古くからあったようです

崇神天皇3年(紀元前95年)に創祀されたとのことですので

「劔(つるぎ)」には色々な意味があると思います。

 

由緒にあるように

日本武命、事代主命、猿田彦命(導きの神)などを祀ると考えると

道を切り拓いで世を平定する神様

であることから

 

「劔(つるぎ)」は

切る=道を開く

という意味で使われたのではないでしょうか?

例えば

草木を切れば、



になります。

 

敵を切れば、

障害

進路

になります。

だから「劔」(ツルギ)は、

障害を断ち、進むべき道を開くもの

という象徴にもなります。

 

そうすると

武人が金劔宮を信仰する理由もわかりますね。

まずは

木曽義仲

との関係です

寿永2年(1183)、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が平家軍を破った後、その勝利を金劔宮の神恩によるものとして、

鞍置馬20頭と横江庄

を寄進したと伝えられています。

 

さらに有名なのが、

源義経

『義経記』には、義経が奥州へ向かう途中、

白山を参拝した後、剣の権現(金劔宮)に参詣し、神楽を奉納して通夜した

という話が伝わっています。

現在も境内には、

義経腰掛石

が残されています。

どうですか?

しっくりきたでしょう?

 

さらに気になることがあります

地図を見ると、金剱宮の真ん中で祀られているのは・・・

この神社の真ん中に祀られているのは?

乙劔社ですよね?

金劔宮の内部に存在した古い社とされていますが

どうも違っていて

乙劔宮は単なる

「金劔宮の末社」

として見るより

 

太古の昔はたくさん水が湧き出ていて

縄文人が聖地として崇めていた場所

であることがわかります

太古の昔、人が生きていくために必要なものは

まない:水

まなひ:火

まなか:太陽

と言っていたそうです。

 

次回は金運の話をしたいと思います