今回も金運にまつわる神社です
石川県白山市鶴来に鎮座する金劔宮(きんけんぐう)は、故 船井幸雄さんが史上最高の「金運の神社」と言ったことで有名になりましたね。

歴史的に見ると、古代の山岳信仰・手取川流域・鍛冶や金属生産・武士の信仰が交差する、非常に重要な古社です。
特に興味深いのは、現在の「金運」というイメージよりも、もともとは「劔(つるぎ)」の信仰です。
由緒では、現在の主祭神は、
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
ですが、本当は
瓊瓊杵尊を大國主命として祀るという話もあります。
これは大国主を役職と考えればしっくりきますね
また
金剱宮は、古くは「劍宮(つるぎのみや)」といい、
鶴来(ツルギ)の地名の由来となっているくらい古くからあったようです
崇神天皇3年(紀元前95年)に創祀されたとのことですので
「劔(つるぎ)」には色々な意味があると思います。
由緒にあるように
日本武命、事代主命、猿田彦命(導きの神)などを祀ると考えると
道を切り拓いで世を平定する神様
であることから
「劔(つるぎ)」は
切る=道を開く
という意味で使われたのではないでしょうか?
例えば
草木を切れば、
藪
↓
道
になります。
敵を切れば、
障害
↓
進路
になります。
だから「劔」(ツルギ)は、
障害を断ち、進むべき道を開くもの
という象徴にもなります。
そうすると
武人が金劔宮を信仰する理由もわかりますね。
まずは
木曽義仲
との関係です
寿永2年(1183)、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が平家軍を破った後、その勝利を金劔宮の神恩によるものとして、
鞍置馬20頭と横江庄
を寄進したと伝えられています。
さらに有名なのが、
源義経
『義経記』には、義経が奥州へ向かう途中、
白山を参拝した後、剣の権現(金劔宮)に参詣し、神楽を奉納して通夜した
という話が伝わっています。
現在も境内には、
義経腰掛石
が残されています。
どうですか?
しっくりきたでしょう?
さらに気になることがあります
地図を見ると、金剱宮の真ん中で祀られているのは・・・

乙劔社ですよね?

金劔宮の内部に存在した古い社とされていますが
どうも違っていて
乙劔宮は単なる
「金劔宮の末社」
として見るより
太古の昔はたくさん水が湧き出ていて
縄文人が聖地として崇めていた場所
であることがわかります

太古の昔、人が生きていくために必要なものは
まない:水
まなひ:火
まなか:太陽
と言っていたそうです。
次回は金運の話をしたいと思います