もう2年半以上前の話ですが・・・
2024年1月1日
能登半島地震があった日ですよね
あの日、私はカミさんと「翔んで埼玉」を観た帰り道・・・
地面がグラグラと揺れたのを記憶しています。
帰宅してテレビをつけると能登半島は大変な惨状。
長女はその時、金沢から帰りの新幹線に乗るところでしたので
結局、金沢にもう一泊して次の日に名古屋経由で戻ってきました。
話を戻すと
今回はこの能登半島地震が発生する3ヶ月ほど前の
2023年の10月、能登半島の先端にある須須神社を巡ったときのお話です。

須須神社は金沢から自動車でも3時間ほどかかる道のり
縄文時代なら、道路もまともにない陸路から行くことは至難だったと思います。
ではどのようにして能登半島の先端にいくことができたか?
それは大陸渡来人が日本に向かって船を漕ぎ出した時に
日本海の対馬海流に流されて
能登半島の先端に流れ着いたところから始まります。
「須須神社」は複数の祭祀拠点から構成されています。
大きく見ると、
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高座宮(たかくらぐう)――現在の本社
-
金分宮(きんぶんぐう)
-
奥宮――山伏山山頂
という構成です。
須須神社の説明では、
高座宮の主神を高倉彦神(たかくらひこのかみ)
山伏山の奥宮を美穂須須美命(みほすすみのみこと)としています。
また、須須神社の伝承では
もともとは、山伏山の山頂に祀られていて、
奈良時代の天平勝宝年間(749~757)に現在の高座宮の場所へ遷座した
と伝えられています。
ということは聖域は、
山頂の神聖な場所 → 海岸近くの神社
に広がっていったということになります。
山伏山は海から非常によく見える特徴的な山で、
古くから海上航行の目標としても利用されたとされていますので、
山そのものを神聖視する信仰
と
海上交通を守る神への信仰
が重なっていたのでしょうね。
須須神社・・・
ここは能登半島の最先端。
つまり、
日本海を航行する船から見える場所
です。




「古代の須須神社は現在の高座宮そのものだった」と断定するより、
「珠洲岬一帯を構成する山・海・祭祀場全体が古代の須須信仰圏だった」
と考える方が自然
だと思います。
これが古来からの山全体を聖域(神社)にする神道的な考え方に合いますね。
