2026年8月15日は先の大東亜戦争が終結して81年でした。
私は埼玉護国神社と大宮氷川神社を詣ってきました。

氷川神社は屋根の銅板吹き替え工事中ですね。
吹き替えようの銅板の奉納を受け付けていますのでご興味のある方はどうぞ。
銅板に住所と氏名を記入できますよ❣️

花手水も夏は涼しげで良いですね。 
蛇の池に向かう道ではこんな感じです。
橙色のホオズキも良い感じですね。

今日は大宮氷川神社について考えてみたいと思います。
この神社は「古い神社」というだけではなく、武蔵国の古代祭祀・水辺信仰・古代国家による神社制度が重なって成立した可能性が高い神社です。
現在の神社がある場所は、大宮台地の東縁で、見沼・芝川水系を見下ろす場所にあります。
さいたま市も、大宮の歴史文化を
「大宮台地と水が織りなす歴史文化」
と位置づけ、古代から見沼のほとりに氷川神社が鎮座し、それを中心に地域が発展したと説明しています。
現在の地図を見ると、氷川神社は大宮台地の上にあります。
だから氷川神社の住所は「高鼻」なんですね・・・
一方、東側にはかつて巨大な水域だった見沼があります。
したがって古代の景観を復元すると、
大宮台地
↓
氷川神社
↓
見沼・芝川水系
↓
水辺の祭祀空間
という構造が切っても切れない関係が見えてきます。
さらに俯瞰してみると、氷川神社、氷川女體神社、中氷川神社が一直線に並んでいる状況などを含めて、太古の見沼周辺には古い信仰が集中していて、大宮氷川神社と氷川女體神社などを見沼との関係から捉える見方も面白いかもしれません。
見沼周辺には古くから水に関係する祭祀が存在したと考えることができます。
そうすると、氷川信仰は単に「須佐之男命を祀る神社」というだけではなく、
水・沼・農耕・豊穣
という古代東国の生活基盤と深く関係していた可能性があります。
その鍵となるのが・・・
大宮氷川神社の境内には、門客人神社があります。
門客人(まろうど)という意味は主祭神に対して他の地域から招かれた「客分」となる神様のことです。
さいたま市によれば、門客人神社の社殿は1667年(寛文7年)の造営で、徳川家綱の命によって建てられた本殿群の一部であるとあります。
その際に門客人神社の前身とされる荒脛巾(アラハバキ)社をなくしてしまったことが記録されていて、それは古い祭祀のあり方を変えてしまう意図があってのではないかと思います。
このように考えると
荒脛巾社があった時代の蛇の池は、
水そのもの
を中心とする祭祀を行なっていたということが正しいかと思います。
氷川神社の主祭神は江戸時代を境に異なる古い神格に変化した
つまり、
水の神聖性
と
在地的な神の祭祀
が、後に氷川神社という大きな神社体系の中に取り込まれていったのではないでしょうか?
特に、大宮氷川神社―中氷川神社―氷川女體神社の三社と見沼を一本の古代祭祀軸として検証すると、太古の日本人の信仰の考え方が検証できるようになるかもしれません。