今日は、先日奉納に行かせていただいた大御和神社です。
徳島市国府町に鎮座する大御和神社(おおみわじんじゃ)は、単に「古い神社」というだけでなく、古代阿波国の政治的中心だった国府と非常に深く結びついた神社です。
今回は奉納の前でしたので綺麗に提灯が下がっておりました。
この日は、東京は台風の影響で雨模様でしたが、徳島は晴天です。

大御和神社は現在も「府中宮(こうのみや)」と呼ばれていて、古代阿波国の中枢部に鎮座していたようです。
主祭神は、
大己貴命(おおなむちのみこと)
一般に大国主命(おおくにぬしのみこと)と同じですね。
大国主は、
- 国土開発
- 農耕
- 医療
- 縁結び
- 国造り
などの神として知られていますので、この辺りは古代国家の地方行政中心地にあったと考えて良さそうですね。
その証拠に大御和神社は「印鑰(いんやく)」を与えられていたのです。
神社の由緒では、
大宝2年(702)に、阿波国司から
- 国璽の印
- 国庫の鍵
が奉納されたため、
「印鑰大明神」
と称されるようになったと伝えています。
「印」は国家・国司の公印。
「鑰(やく)」は鍵です。
つまり伝承をそのまま理解すれば、
阿波国の公的な印と国庫の鍵を守護する神社
だったということになります。
だから、紋が『鍵』なんですよ!!
こう考えると阿波は大昔から古代国家の地方行政中心地であったと考えるべきで、当時はかなり技術を持ったものがいて、このエリアの政治・経済が発展していたと考えるべきでしょう。
その技術集団が阿波忌部です。
阿波忌部は、天日鷲命(天日鷲翔矢命)を祖神とし、後期から古墳前期(3~4世紀)にかけ、吉野川流域を中心にその勢力を展開し、阿波地域を拓き、日本各地に麻・榖(かぢ)を植え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住の生活文化技術や産業技術・古墳築造技術(農業土木技術)などを伝播させた技術集団、かつ祭祀集団であった。
そして彼らが大和朝廷設立の際にも影響を与えたと考えられています。
そうすると、
この神社の名前・・・
大御和(おおみわ)
ですが、これは奈良県桜井市にある
大神神社(おおみわ)
と関係があるのではないかというのもなるほどと思われますね。
この大神神社は、三輪山そのものを神体とする非常に古い神社です。
また、
奈良の地名って徳島にある地名と同じものが多いのも頷けますね。

あと、三つ巴が右回りと左回りの2種類があるのが分かります。
