回向院から京葉道路沿いに歩くこと5分ほどで「両国公園」に到着します。
台風一過の週末ということもあり、両国公園は地元の家族連れで賑わっておりました。
なんとここは、明治維新の時に幕臣として大政奉還に一役買った「勝海舟」生誕の地だそうです。
萩の吉田松陰生誕地では松陰の生誕地は「この辺」みたいな感じで、仕切られた場所がありましたが、残念ながらここにはありませんでした。
松陰の生誕地は↓のブログを参照願います!
生誕地の詳細の場所がわからない・・・
その代わりといってはなんですが、公園の隅に『勝海舟幕末絵巻』と称して勝海舟にまつわるお話が書かれたパネルが展示されています。
加えて・・・
こんな感じで記念撮影用の椅子もありました。
自撮りでは刀も一緒に撮影するのは難しいので、一緒に撮影したい方はぜひ、家族・仲間と訪れた方が良いと思います。
勝海舟生誕の地を満喫した跡、再び回向院に向かって歩いていくと吉良邸跡地があります。
両国公園から回向院に向かった歩いていく方向から見えるのが、吉良邸の「表門」あったところだそうです。
吉良邸はこの道の先の角まであったそうで、かなり大きな邸宅だったようです。
この道の右の方に白い旗が立っていますが、そこが「吉良邸跡」として唯一残されている場所で、「本所松坂町公園」と呼ばれております。
この吉良邸跡(本所松坂町公園)由来には以下のように記されています。
この公園は「忠臣蔵」で広く知られる、赤穂浪士の討ち入りがあった、吉良上野介義央の上屋敷跡です。 その昔、吉良邸は松坂町1、2丁目(現両国の2、3丁目)のうち、8,400平方メートルを占める広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が立ち並び、今ではその面影もありません。
昭和9年3月、地元の町会の有志が遺跡ウィ後世に伝えようと旧邸宅の一角を購入して史跡公園として東京市に寄付したもので昭和25年9月に墨田区に移管されました。・・・
公園と呼ぶには小さいのですが、中には吉良の像(写真)に加えて大石内蔵助に討ち取られた際に、その首を洗った井戸も展示されています。
大石内蔵助は討ち取った吉良の首を浅野内匠頭が祀られている泉岳寺に持っていって、そこでも再度、井戸で首を洗ったそうです。
ということで、両国巡り番外編で次回は泉岳寺をレポートしたいと思います。
弥栄