スサノオのお話
まず質問。
スサノオとは何を意味しているのでしょう?
驚愕の話はなんと・・・
スーサの王
が、なまったものだとか・・・
当時は大和言葉しかなかった日本なら単純に
「大阪のおばちゃん」
みたいな感じなのかもしれません
では、スーサって国があったのか??
ということですが・・・
ありました!
以下、ウイキペディアより抜粋すると、
スーサの歴史は古く、アクロポリスからは紀元前4000年にまで遡る神殿跡が発掘されている。放射性炭素年代測定によると、早ければ紀元前4395年にまでさかのぼる。紀元前30世紀から紀元前7世紀に跨がるエラム王国の首都であった。
なんと3300年存在した国なんですね。
えーっと・・・
4000B.C.ってことは・・・
これって今から6000年前ということですよね??
しかも、下の図を見るとスーサI・II・III・・・と続いているようですね。
「メソポタミアとインダスのあいだ」より
スサの国とスサノオを勝手に結びつけると、
「スサの王の子孫のうち、ある「あばれ者」が、悪さばかりして、国から追放されてしまって東へ、東へ向かっていった先が日本だった。」
なんて考えると面白いですね。
だとすれば、
スサノオが日本に来たのは、今から5000年くらい前
だったなんて話になりそうですが・・・
さて、下の地図を見るとスサの国の近くに「ザクロス山脈」があります。
ここで採れる果物のことを日本では「ザクロ」と呼んでいます。
さしずめ
「遥か遠くの西の国にあるザクロス山から来た果物」
というのを略して
ザクロ
と呼んだのでしょうね。
ウイキペディアより抜粋すると、