REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

サイコパス 〜現代人と先祖との比較〜

サイコパス」という言葉、ご存知ですか?

反社会的人格を持つ人のことと言われていますが、

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアはサイコパスの定義を、

としています。

 

こういうタイプが多いのはなんと

「優秀な経営者」、「敏腕トレーダー」だそうです。

トレーダーだと、こんな仕事場で一日中、仕事をしている感じですね

 

どちらも仕事で、大事な時に正しい決断を下す時に『感情をいれない』タイプを指しています。

この、「感情を入れない」ところが経営者とトレーダーに必要なことのようです。

したがって、不必要な所では『決断の回数を減らす』ことで、日頃の生活でやっている決断の回数を極力減らして、「意思のエネルギー」を消耗させないようにして肝心な時に使う・・・

ことを意識しているからだそうです。

『意思のエネルギー』は
朝起きた時が満タンで、決断を繰り返すごとに減っていきます。

例えば、

・朝はパンを食べようか、ご飯にしようか

・スーツは昨日グレーだったから、今日は紺でいこうか?

・駅まではバスにしようか、自転車にしようか、最近飲み過ぎたから歩こうか?
・家を出る前に「ゴミを捨てて」言われたけど、忘れたので家に戻ろうかどうしようか?

・オフィスの手前のコンビニで、コーヒーのサイズはSにするかMにするかどうしよう?

 

決断するたびに、意思のエネルギーは減少していき、会社に到着して会議が始まると、
すでにヘロヘロな状態で、大切な決断では良い決断を下せない・・・

 

まして家を出る前に夫婦喧嘩や、娘から「オヤジ臭い」なんて言われて怒り狂ったりしたら、その瞬間にエネルギーはゼロになってしまっているでしょうね。

 

昔の人は、◯◯道(例えば、剣道・華道・書道・合気道)を学び、教わった型通りに所作を行っていましたね。(今でも、歯を磨く、顔を洗うというのはそうだと思いますが)

これは日々の修行で「感情が動かない環境」を作っていて、意思のエネルギーを減らす機会を少なくしていたのではないかと思っています。

 

日々、洗濯に追われている現在人に比べて、江戸時代以前の人たちは型通りに所作を行うことで、大切な意思のエネルギーを無駄に減らすことなく、いざという時に正しい決断を下していたのではないかと思いますがいかがでしょうか?

 

ということは・・・・

江戸時代以前の人たちはサイコパスだらけだった??

 

弥栄