REIWAに「弥栄!」

    平成の30年間、サラリーマンとして仕事に生きてきました。 REIWAに入って生き様を見直しながら日々、雑感したことを書き連ねます。

古事記の絵本 〜やまとことば神話(2)〜

ご無沙汰しております。

古事記ストーリーの続きです。

アマノミナカヌシ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミが身を隠した後の話です。

宇宙はできたばかりで水に浮いた脂のようで漂っていたようですが、そこからどんどん成長しいくわけですが・・・

その働きをする神が、

ウマシアシカビヒコジ・・・

この名前、「葦が見事に成長する姿」を表しているように聞こえませんか?

小学生に読み聞かせをすると、この長ったらしい名前(ごめんなさい)をすぐ覚えて走り回る子がいるとか。 

やはり感受性の高い子を元気にする力があるのでしょうか?

これが俗にいう「ビッグバン」の後の宇宙の成長にも思えますね。

 

小名木善行先生のブログによると・・・

nezu3344.com

 

小名木先生によると、

「万物のはじまりのときに、最初にあらわれた神様は、とにもかくにも明るくて元気いっぱいの中から生まれたのだ。」
だったら、困ったときには原点に帰る。
その原点というのは、笑顔で活発で、明るくて元気いっぱいの姿です。

はじめに混沌があり、その混沌の中に若い葦の芽のような活き活きとした萌芽が生まれ、そこから新しい社会秩序が生まれてほしいと期待しているのが、先ほどの「ウマシアシカビヒコジ」と叫びながら駆け回る子のように現代の人々ということになるのでしょうか。

 

ちなみにこの後、膨張していく宇宙を形作っていくのですが、それを表現した神が・・・

アマノトコタチ

ですね。

 

私の場合は今日も「弥栄」と掛け声をかけながら一杯飲むのが原点に帰る習慣かもしれません。

古事記の絵本 〜「やまとことば神話」(1)〜

古事記というと実は子供の頃から読もうとして挫折していた本でした。

当時、読んで記憶に残ったのは「イザナギイザナミによる国産み」や「因幡の白兎」あたりの話のみでした。

5年ほど前から「神話を失った国は滅びる」といった危機感から再び書物を買って読みこなそうとしましたが・・・

やはり、アマノミナカヌシから始まる神々の部分を読むと「なんでこんなに複雑な名前が脈々と続くのか・・・」と心が折れそうになりますね。

この神々の名前を「やまとことば」という観点から読み解くと全ての神の名前には意味が込められているということを絵本で解いたのが「絵本やまとことば神話」です。

store.shopping.yahoo.co.jp

 

元々、古事記日本書紀に先んじて変遷されたものの、日本書紀が正規の国史として取り扱われた一方で、対照的に封印されたような形になってしまいました。

これは「やまとことば」で書かれたものを全て漢字で表現していたからと言われていますが、すでに原書は存在せず、今日残っているのは写本(最も古いものは、室町時代のものだそうです。)のみで、封印されたままになっていました。 

こんな書物を掘り出して世に送り出せるように35年もの年月をかけて解読したのは、江戸時代の国学者である本居宣長でした。

本居宣長さまさまですね。

 

さて「絵本やまとことば神話」に話を戻すと、

 

この絵本では・・・

「天地初めて開しとき、高天原に成れる神の名は、天之御中主神。 次に高御産巣日神。次に神産巣日神

この三柱の神は、みな一人神となりまして、身を隠したまひき。」

の部分を以下のように、神々の名前をやまとことばから掘り起こして理解を深めることができるように構成されています。

 

アメノミナカヌシ 天御中主:宇宙の中心

タカミムスヒノカミ 高御産巣日神:カム(噛む)・ムス(産す)もので+タ(+)⇨陽

カミムスヒノカミ 神産巣日:カム(噛む)・ムス(産す)もの⇨陰

 

この部分を読むと、食事の時には良く「噛む」ことが神にも通じるし、健康にも良いことを再認識させられます。

次の五柱の神の話は次回に。

 

弥栄

とうとうワクチンパスポート??

2月に入って早々のことでございます。

私の住んでいる最寄りの駅に知り合いの方が来られましたので、「軽く食事をとりながら飲みましょう。」ということで、近くのチェーン店へ・・・

 

一件目に入って、「ビールお願いします」というと・・・

店員:「あの〜。 身分証明書とワクチンパスポート出してください」

私:「え〜。そんなこと言われてももってるわけないじゃん。 免許証あるから身分証明書だけで許してよ。」

店員:「ルールですのでダメです。」

私と友人:「じゃぁ。この出ましょう!」

 

ということで、その店を出ましたが周りの店全てに同じような張り紙が・・・

その張り紙がこれです。

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誰だ! こんな通達を決定したのは??

思いっきり掲示している店名が出てますが、しょうがないですね。

よく見ると、身分証明ではなく接種証明もしくは陰性証明とありますので、

「陰性証明を取得する際の費用は埼玉県が負担してもらえるのでしょうかねぇ?」

と思って、家に戻ってネットを検索するとこんなPDFが・・・

https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/204548/kenminnominasamahe.pdf

発信が、「埼玉県」と書いてありますが、埼玉県の誰が決めたのかよくわかりませんね。

 

ステルス攻撃をいきなり喰らったようで、どうも納得がいきません!!

埼玉県の指示というのは・・・決定者は誰??

 

しかも、店にある掲示だと「要請」となっているのにネットで調べたPDFだと「要請」という文言が消えています。

ということで

 

埼玉県のホームページから

知事記者会見

にアクセスしてみました。

 

smart.discussvision.net

 

この映像の8分ー10分あたりに埼玉県知事が話していますが、本件に関しては冒頭で「改めてお願い」と言いつつ、その後の話し方はあたかも決定したような言い方に変化しているのはどうしても意図的なものを感じざる終えません。

 

決定者が県知事であるならば、埼玉県の飲食店の発展にとって障害になるので、とっととお辞めいただくようにお願いしたいものですが、みなさまのご自宅のあたりではいかがなっておりますでしょうか??

 

こんな決定しかできない県知事であれば、給料を返上して負担を強いられている飲食店の収益に微力でも貢献するくらいの腹がないと県民は納得しないのではないでしょうか?

本件、飲兵衛おじさんはかなり怒ってますよ。

 

弥栄

東国三社巡り(4) 香取神宮  〜よく見ると不思議がいっぱい〜

すいません。

だいぶ間が空いてしましました。

今日は香取神宮です。

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出雲の国譲りの神話では、香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、出雲の国譲りの神話に出てくる神様です。

・・・

はるか昔、高天原を治めていた天照大神は、葦原中国は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国荒ぶる神々が争い乱れていたため、まず天穂日命(あめのほひのみこと)を出雲国大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命大国主神に従い家来になってしまいました。

次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として天照大神の元に戻りませんでした。

度重なる葦原中国の平定失敗に高天原の神々は、次に遣わす神は経津主大神が適任であるとしましたが、これに対して武甕槌(たけみかずち/鹿島の神)は経津主大神だけが雄々しい立派な神で、私は違うのか!と激しく抗議しました。そのため経津主大神に武甕槌を副得て二神で葦原中国に遣わせたとあります。

出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神天照大神の命令に従い、葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。

古事記の「国譲り」では鹿島の神【建御雷神】に天の鳥船を副えて遣わしたとありますが、日本書紀は香取の神が『主』であり、鹿島の神が『従』の関係となっています。

・・・

上の大まかなストーリから東国3社ができたと言われていますが、香取神宮を回ると解せないことが色々と出てきます。

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地図を見ると、西が入り口でとても怪しい感じですね。(普通は日が登る東にある)

なぜか奥宮が表参道から見ると本殿の奥にありません・・・

ということは、表参道も本殿も後から建設したものなのでしょう。

参道をくぐって歩いていくと、道の両脇に神池があります。

ここで禊をする所でしょうか?

直角に曲がって桜門をくぐって入ると・・・

振り返ってみると狛犬がいます。

↓のような並びになっているのですが左右が通常とは逆ですよね。

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どうも、桜門の中に祀られている神を外に出したくないように見えますね。

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本殿の鰹木・・・9本あるのは珍しい

本殿の後ろに回ると・・・

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本殿の後ろ

 

裏参りができるいうことは、本殿の表と、裏を祀っている神が違っているのでしょうね。

本殿ができたのは江戸時代に江戸幕府が建てたということですが、何か意図があって本殿に祀っている神を閉じ込めるようにたのでしょうね。

・・・うーん。 今回は悩ましい神社巡りでした。

 

弥栄

 

 

 

 

 

 

東国三社巡り(3) 〜鹿島神宮〜 参拝するなら奥まで行こう!

鹿島神宮の由緒には、

神代の昔、天照大神の命を受けた武甕槌(たけみかづち)大神は香取の経津主(ふつぬし)大神と共に出雲国へ向かわれ、国譲りを成就し皇孫の国たるべき日本の建国に挺身された。とりわけ東国における神功は大きく、関東開拓の礎は遠く大神に遡る。

初代・神武天皇は、その御東征なかばにおいて思わぬ窮地に陥れられたが、大神の「ふつ霊の剣」の神威により救われた。

皇紀元年、紀元前660年の頃といわれる。

以降、皇室を始め藤原氏等の崇敬も篤く、中世・近世には源頼朝、徳川将軍等の祈願や寄進が寄せられた。

そして江戸時代には利根川から江戸を結ぶ水運が開かれると東国三社まいり(鹿島・香取・息栖)が流行、庶民にも鹿島信仰は広まり、現在に至るまで東国最大最古の神社として朝野の崇敬を集めている。

 

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鹿島神宮の地図

地図にあるように面白いのは本殿は大鳥居から入って右に折れた所にあるのですが、何故か本殿の後ろに御神木があります・・・ 珍しい。

ちなみにタケミカズチとタケイカズチは全然違う神を指しているそうです。

武甕槌(タケイカズチ)は女性神で、タケイカズチは男性神(国譲りの際に刀に座っていた神ですね。)とのこと・・・

しかも、コンコンと水が湧き出している御手洗池が奥宮よりも奥にあるのも面白いですね。

ということから考えると、家康が天下をとった後、鹿島神宮の本殿を建てる前までは、御手洗池が御神体であったと考えるとしっくりきますね。

 

御手洗池の水源が写真の鳥居の奥にあります。

この辺りはとても空気のよい場所で、しばらくいたくなるような所です。

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御手洗池

さて、もう一つ。

ちなみに、御手洗池の近くの売店で買ったお酒がこれです!

この「鹿島立ち」ですが、鹿島神宮でしか販売していないそうです・・・ と言われて買ってしまいました。

 

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弥栄

東国三社巡り(1)元息栖神社と息栖神社

東国三社巡りですが、先ずは息栖神社です。

ここは元々は別の場所にあったところから移転されたとのことで、先ずは息栖神社跡へ。

すでに神社は取り壊されていて石碑が立っている横に息栖神社跡の説明書があるだけです。

 

元息栖神社跡 (息栖神社跡)

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元息栖神社があった場所・・・今は碑が建っている

息栖神社の歴史と書かれた看板があるのですが、そこには・・・
現在の息栖神社は、その昔、日川に鎮座していました祠を大同2年(807年)、右大臣藤原内麿が詔勅により現在の息栖神社に遷座したとされております。 

日川地区に鎮座していた当時の息栖神社がなんと言う名前で呼ばれていたかについては定かではないですが、史書「三代実録」には、「仁和元年(885年)「於岐都説神(おきせつのかみ)」従五位下を授けられる。」と記されており、これが旧息栖神社のことではないかと推定されています。

この祭神の名称からは、川の中洲、水辺に位置する神社という印象が想起されますが、このことは、祭神が岐神(くなどのかみ)天鳥船神(あまのとりふねのかみ)、住吉三神(上筒男、中筒男、底筒男)と言う、海にまつわる神々である事に結びつきます。

事実、日川地区内の遺跡からは平安時代の遺物等が発見されており、この神社を祀り、水上交通の安全を祈願したと思われる人々が居住していたことが確認されています。

 

ここから海までは300メートルほどありそうですが、ここで霞ヶ浦に入ってくる船を臨検していたそうです。現代で言うと税関のような機能でしょうか。

 

と言うのは、当時の霞ヶ浦は、利根川とも繋がっていて茨城⇨東京・群馬あたりまで水路でつながっていたようです。そのため、この水路から入ってくると関東一円に船で乗りつけることができるので、治安維持の観点もあってここを通る船は武器等を乗せていないかしっかりとチェックされて入国させていたのでしょうね。

 

さて、本丸の息栖神社です。

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説明書には、

息栖神社は、古くは日川に鎮座していた祠を、大同二年、右大臣藤原内麿の命により現在地の息栖に鎮座したと伝承されている。

史書「三代実録」にある「仁和元年三月十日乙丑條、援常陸国 正六位上 於岐都神従五位下」の於岐都神とは息栖神社のこととされている。

古来より鹿島・香取との関係は深く、鎌倉時代鹿島神宮の社僧の記した「鹿島宮社例伝記」、室町時代の「鹿島宮年中行事」には祭例等で鹿島神宮と密接な関係にあったことが記されている。

祭神は現在岐神・天鳥船神・住吉三神とされ、海上守護・交通樹後の守り神と奉られている。

江戸時代には主神を気伊吹戸主神と記しているものもあり、境内にある芭蕉の句碑「此里は気伊吹戸主の風寒し」はその関連を物語っていると思われる。

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息栖神社の地図

 

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忍潮井

この神社で面白いのは一ノ鳥居は海に面しているのですが、その両脇に井戸があってコンコンと真水が湧き出しています。中を覗くと錦鯉が悠々と泳いでいて、まさに真水であることを証明をしていました。
船の隣県が終了して帰港したのち、次の外洋航海に向けて、ここで真水を補給して航海に出て行ったのでしょうね。

そう言う意味では主祭神が天の鳥船ということもよくわかります。

写真には入れませんでしたが、参道の常夜灯には、鹿を彫っているものがありましたので、この後に回った鹿島神宮も含めて考えると、東国三社はイスラエルともなんらかの関係があったのかもしれません。

 

弥栄

東国三社巡り(2)於岐都説(おきつせ)神社

前回の息栖神社の趣意書にありましたが、息栖神社に関係の深い於岐都説(おきつせ)神社にも行きました。

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於岐都説神社

この於岐都説神社の本殿ですが、息栖神社に元々あった御神体が、天の鳥船を主祭神として祀る際に放り出されたものを、そのまま移動して組み立てたとされているのが、この神社の本殿とのことです。

そう言う意味では、かなり重要な神社であるにもかかわらず、今や神主もいない状態になっているということで、なんとか存続してもらいたい神社だと思います。

本殿は下の写真になります。

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さて、この神社には説明書がないので、主祭神について以下の通り考えてみました。

 

524syuzoku.hatenablog.com

 

前回のブログに書きましたように、息栖神社の説明書には、

・・・江戸時代には主神を気伊吹戸主神と記しているものもあり、境内にある芭蕉の句碑「此里は気伊吹戸主の風寒し」はその関連を物語っていると思われる。

とあります。

 

だとすると、この於岐都説神社には、息栖神社(元々は於岐都説神社と言う名前??)が、天の鳥船を主祭神として祀り始めた時(多分、江戸時代の頃)に息栖神社から放り出された御神体が「祓いの神、気伊吹戸主神」であったのではないかと考えます。

更に本殿は鰹木が5本(男神)、千木が地面に水平(女神)に切っているところから、気伊吹戸主神に加えて、祓いの女性神も祀られている?? 

とすると・・・・

私の見立てですが、多分、ここには祓いに関した強力な力を持っている瀬織津姫も祀られているのではないでしょうか?

ちなみに於岐都説(おきつせ)神社と東国三社の位置関係を示した地図を入れておきます。於岐都説神社と東国三社との距離ですが、割と離れているのですが、大祓をしてみたい方は一度詣られたらよいのではないでしょうか。

息栖神社を日川から移動させたことで、結果として東国三社の位置関係が二等辺三角形となりました。

このあたりは、熊本あたりまで伸びている中央構造線の端っこを抑える場所となっていることで地震対策でも講じていたのでしょうか?

 

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http://mahoranokaze.com/blog-entry-657.html から転載

 

弥栄